本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
新約の約束の牧師と聖殿
聖書は廃ることがあり得ない(ヨハ10:35)、自分の仕業に応じ、書物に書かれていることにしたがって、さばかれる(黙20:12)。
旧約で約束された牧師や聖殿はイエス様であった(ヨハ2:19~21)。では、新約で約束された牧師と聖殿とは誰のことを指しているのだろうか。旧約聖書がイエス様のことを知らせたように、新約の聖書も約束の牧師のことを知らせるために書かれている。
旧約を知ることのできなかった形式上の信仰人達が、イエス様に気が付くことが出来なかったことと同様に、新約の時も新約聖書を、理解しなければ、聖書の約束通り来られた牧師の存在に気が付かずに、迫害するようになる。バプテスマのヨハネはエリヤの名で来(マタ11:10~14、マタ17:10~13、ルカ1:13~17)、イエス様は父なる神様の御名で来られた(ヨハ5:43)。そして、新約で約束された牧師は、イエス様の御名で来られるといわれている(ヨハ14章)。真理の御霊であられる助け主は、主の御名で来られ、真理の御霊を受けた牧師も主の御名で約束され、主の御言葉を代言する(マタ24:45~47、黙10章、黙22:16~17)。この時、御霊を受けていない人々は、御霊を受けた人を迫害するようになる。黙示録が成し遂げられた内容を見て聞いて証する時、人の戒めのみを知る人は黙示録を理解できずに信じないで、迫害するようになる。
終末の時になって、神様が選ばれた黙示録の牧師が即ち、聖殿である(1コリン3:16~17)。約束の御言葉を信じないことはつまり、イエス様と聖書のことを信じないことだ。神様もイエス様も約束の牧師も聖殿も僅か、一つのみだ。聖徒はまず、聖書を通じ、新約で約束された牧師を調べるべきである(マタ6:33)。
約束された真理の御霊であられる助け主と、助け主の御霊が一つになる時、預言が成就され、黙示(啓示)の御言葉を受けて代言するようになる。
神様自身が記した黙示録5章と10章の開かれた啓示を受けて証をする人は僅か一人のみであることを理解して、探し、教えてもらう必要がある(マタ7:7~8参考)。
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