2014年2月10日月曜日

新天地、異邦の神を拝む者

に正しく知りましょう。聖書と新天地

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。
また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。


 
異邦

聖書を廃棄することはできない(ヨハ10:35)、本に書き記されているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた(啓示20:12)

  エジプトから出てカナンの地に入った肉的イスラエルのソロモンが異邦の神を仕えることによって、北イスラエルの11支派と南ユダヤの1支派に分かれて、その後、ユダヤもエルサレムも異邦の所有となった(Ⅰ列王11章、申5章、イザ1章、啓示13章参考)

  神様から与えられた十戒の中で第一の戒めは「あなたには、私のほかの神々があってはならない(20:3)」であり、第二の戒めが「偶像を造ってそれに拝んだり仕えてはならない(20:46)」ということだった。ソロモンがほかの神に仕えたことで呪われてイスラエルが異邦の国となってしまい、イエス様が来られるまで異邦がイスラエルのことを支配していた。カトリック教が腐敗したため改新教が現れた。しかし、この改新教の中のある教団がソロモンのように、啓示録13章の章のように異邦の神に拝んでしまったらはたして救いはあるだろうか。またカトリック教より勝っていると言えるのだろうか。聖書通りに信仰しないくらいならなぜ聖書を持ち歩きながら調べたりするのか。



異邦の神を拝んだ者が「正統だ、救われた」だの言ったところで誰が信じるだろうか。聖書の指示通りに信仰する者になって救われうるようにしよう。今日私たちの信仰の世界にはソロモンのように異邦の神を拝んだ教団があって、その教団が他の教団のこと異端だと言って、自分たちは正統だと言いながら自分の教会へと改宗させている。はたして改宗するべきだろうか?

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