2014年2月10日月曜日

新天地、迫害をするための偽の証し

に正しく知りましょう。聖書と新天地

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。
また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 
迫害をするための

(ヨハ8:4445)あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願って言うのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立てはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。しかし、このわたしは心理を話しているために、あなたがたは私を信じません。

神様は6千年の間真実を知らせられるために働かれてきて、悪魔は神様の働きを邪魔して偽りの証をしてきた(使徒7:5154、使徒24:5参考)。そして義人たちとイエス様をおとし入れて殺した(マタ23:3435)。悪魔の神を受けた者が嘘をつく理由は自分の正体を隠すためで、神様の御国をこの地上の建たせないためである。

 偽りの神の所有者は迫害のために嘘をばらまいては真の牧者を信じさせないための働きをする。自分がイエス様だと言ったり、自分が神様だと言ったり(Ⅱペテ2:4)、自分が教主だと言ったり、自分が保恩師聖霊だと言ったり、自分が白馬に乗った者(啓示19:11)だと言ったりなど嘘をついてきたのである。そのように言う理由は人々が聖書について無知だからいんちきなどをして嘘をついてきたのである。新約聖書にイエス様が約束された牧者はイエス様でも、神様でも、教主でも、保恩師聖霊でも、白馬に乗った者でもない。

 マタイの福音書244547節で、イエス様のすべての所有を与えられる者はイエス様ではないし、啓示録23章に神様の御名とイエス様の新しい御名と天から下ってくる聖なる都新しいエルサレムの名をその上に記される勝利者もイエス様ではないし、イエス様から白い石とマナと万国を治める鉄の杖を与えられる人もイエス様ではない。イエス様の御座に共に着く者もイエス様ではない。イエス様の御言葉を聞いて啓示録23章の手紙を送った者もイエス様ではないし、天から下った開かれた本を受けた者もイエス様ではない。啓示録全章を見て聞いて証する者もイエス様ではないし、啓示録217節の勝利者もイエス様ではない。記録されているところ、勝利者はイエス様からそれらを与えられることになるので、イエス様ではない。また勝利者が教主になれるわけでもない。イエス教の教主はイエス様である。聖書を知っているものがどうして自分のことをイエス様だと、また教主だと言えるのだろうか。以上で述べた通りに嘘をつく者はその中に偽りの神が宿っているからである。


聖書を信じる知覚のある信仰人ならば、神様とイエス様のように赦しと愛を施さなければいけないのにも関わらず、赦しも愛も与えないで相手に害を与えるために嫉んで、呪って、罵って、迫害して、批判するゼミを聖霊の働きであるとみるべきか?聖霊の目と耳と心は御言葉で判断しよう(マタ6:1215、マタ18:2135)。自分の永遠の罰は赦されて、人の小さいことすら赦せないなら、天の父ははたして自分の罪を赦してくださるのだろうか。神様とイエス様が十字架を代わりに背負ってくださったその赦しと愛で私たちも互いに赦し合って愛し合おう。

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