本当に正しく分かりましょう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
宗教と教主
新旧約聖書に書かれてある内容は誰の御心なのか。宗教というものは何なのか。また宗教の教主は誰なのか。そして、世の知識を以って書かれた御言葉の意味を知ろうとしても何故出来ないのか。信じる者と信じない者の結果はどのように違うのか?
宗教とは「最高の教育」という意味である。 では、宗教は誰が創ったのか?
宗教は神(御霊)が創った。その証拠はヨハネ1章1~2節にある。そして、宗教の教主は創造主である神様であられる。これはカトリック教会を天主教と呼ぶのと同じである。宗教人に教主という称号を付けることは不法で、非真理になる。新興教会であろうが伝統教会であろうが教会の代表が教主になるということはあってはいけない。キリスト教はイエスが教主という意味で、天主教は天主が教主になるのである。
大概の異端は相手のことを迫害するために教主という名称を使っている。しかし、教主という言葉を使っている者こそが異端であり、非真理の人であることを自ら現すことになる。
例えば、ぶどう園の主人からぶどう園を任されたからといってぶどう園の主人になることは出来ない。
「大韓イエス教○○教会」という看板を掛けたのならば、この○○教会の主人、即ち教主はイエス様になる。イエス教であると明らかに説明しているのにも関わらず、その教会の担任に教主という称号を付けるのならば、それはそのように言っている人自身が偽信仰人であることが分からなければならない。教会代表、担任、牧師、長老などと或いは名前で呼ばなければいけない。教会と聖徒は神(御霊)の御心通りしなければならない。これが神様を信じる信仰である。
世の中の知識が豊富な者だからといって、記録されている神様の書物の御心を正しく悟ることは出来ない。そして、預言されていることは預言された神が成し遂げられるのであり、神が預言されたことはその預言を成就した後、知らせてくださることによって分かるようになる。
聖書の内容は歴史、教訓、預言、成就などが書かれてある。この中で預言はまだ成就されていない。つまり、成し遂げる時がある。前もって、書いてくださった御心は成し遂げた時、見て信じるようにするためである。(ヨハ14:29)
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