本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
神様の種で生まれてきた者と悪魔の種で生まれてきた者
神は愛である(1ヨハ 4:8, 16) 神様のことを信じている私たちはお互い愛し合いましょう。
悪魔は人を批判し、ののしり偽って迫害をする者である。(使7:51~54、マタ5:10~12)私たちは神様のことを信じる故に、悪魔の行動をしてほしくない。
自分が神様の種から生まれてきたのか、それとも悪魔の種から生まれてきたのかも、よく分からずに信仰をしている人々がいる。その実はその木で分かるのだ。また、主の戒めを守っているとはいえない人が、人の批判をし、ののしり、迫害の行為を行っている。それでも、誠の信仰人だと誤解している人もいるのだ。
聖書には神様の種もあり、獣である悪魔の種もある。(エレ31:27)この種は神様の御言葉である。(ルカ8:11)神様の御言葉は神様の種で、悪魔の言葉は悪魔の種だ。この二つの種の中から、どちらの種から生まれてきたのかによって神様の子にもなり、悪魔の子にもなるわけだ。この様な事実をイエス様はマタイの福音書13章に説明して下さった。そこで、イエス様はこの二つの種は収穫の時期まで一つの畑で一緒に育てられると言われた。
収穫の時になると、神様の種から生まれてきた実(息子)は収穫され、神様の新しい御国を創造される、とマタイの福音書13章と黙示録14章に明示されている。この時、収穫されずに、その畑(教会)に残っているままの人は誰の子を指しているのだろうか。また、新約のこの預言は成就されるものではないのか。
使徒パウロはガラテヤ書4章19節で自分は産みの苦しみをすると言われた。また、「キリスト•イエスにあって、福音によりあなた方を生んだのは、わたしなのである(1コリン4:15)」と「あなた方に乳を飲ませる(1コリン3:2)」とも言いながら真実の息子であるテモテのことを紹介した。(1コリン4:15~17)
第一コリント5章3節から4節では、パウロは「からだは離れていても、霊では一緒にいる」と言った。このようにイエス様の御霊がいつも私たちと共におられることを信じなければならない。(マタ28:18~20)
イエス様が約束された聖書の意味をよく理解できない理由とは、御霊、即ちイエス様の霊が存在せずに、心中にその御言葉がないからだといえる。イエス様の御言葉に「わたしの言葉があなたがたのうちに根をおろしていないからあなた方はわたしを殺そうとしている」と言われた御言葉通りである。(ヨハ
8:37).
● 種に対した筋道
神様は「あなた方は万物から物事を習いなさい」と言われた。また、イエス様が4福音書で最初に知らせた内容とは、天国が近づいてきたこと(マタ4章)と天国の秘密であった「種」についての事柄であった。(マタ13章)
教会に登録をし、「主よ、主よ」と呼ぶことが、イエス様のことを信じることになり、また、天国に入る資格が与えられることになるのか。それは間違っている。「父よ、父よ」と呼ぶだけで、神様が自分の父親になることはない。(ヨハ8:31~44)
イエス様のことを信じる人はイエス様の御言葉を守る人である。神様を父とさせるには、父親の御霊の種で生まれて来なければなれない。御言葉と神様の御霊で生まれ変わることが信じる人のすることで、父の息子になることである。
どんな種を植えたのかによってその種の木が育てられる。人の心は畑であり、建物であると(1コリン3:9)ある様に、人も神様の種と悪魔の種、この二つの種の中で植えられることによってその子どもが生まれてくるはずである。
動物を見てみる。畑に当たるメンドリがいて、種を持った白、赤、黒のオンドリがいる。そのオンドリの種によってその色のひよこが生まれてくる。しかし、オンドリの種がないまま産んだ無精卵の場合、ひよこを孵化させることは出来ない。
また、植物の場合は、例えばカボチャだとしたら、おしべの花粉にめしべがふれ、受粉がなければ、その実は結ばれずに落ちてしまう。このように御霊の種が心の畑に植えられ、御霊が来られて一つになることで結ばれると生まれ変わることになる。御言葉と神様の御霊で生まれ変わった人が神様を父と呼ぶことが出来、神様の息子になれる。種もなく、御霊もない人が父と呼んだところで、神様を自分の父とすることはできないのだ。無論、種も御霊もない人は、パウロが種を蒔いたように(1コリン3:6)することも出来ない。
神様の所属にならず、悪魔の所属になっている人は神様の所属の人を憎み、迫害をする。誰であっても神様の御言葉と御霊で生まれ変わった人が信じる人で望みに叶う人になる。これが神様の種と悪魔の種で生まれ変わった人の差である。
結果、種を蒔いた畑は教会で、教会の中に二つの種が収穫の時期まで一緒に育てられ、収穫の時期になると刈り取る手が泥棒のように収穫畑に来て良い種だけを収穫していく。この時、収穫されないまま、その畑に残った者は毒麦になる。これが本文で語った二つの種と実についてである。悟った人は収穫される為に祈らなければならない。今は収穫の時期であるからだ。
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