本当に正しく知ろう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
正統と異端の区分
新旧約聖書に異端と言う言葉がある(使24:5、14、ガラ5:20、テトス3:10、2ペテ2:1)一方で、正統と言う言葉は存在しない。異端や正統の基準をはっきりさせ、そこから異端と正統は決められるべきではないか。
正統と異端は各々、神様とサタンから始まった。神様は自ら居られる方、まさに自存者で、天地創造主である創造者だ。しかし、サタンは被造物である。(創3:1、蛇は黙12:9、20:2)
今日の各教団は、伝統と言う言葉が似合うが、正統と言う言葉はふさわしくない。教会はイエス様が来られた時代から始まった故に、伝統という言葉がふさわしい。しかし、神様から直接に受けて始まらないために正統と言うことはできない。そのため、伝統の方がふさわしいのだ。嘘は結局、本当の言葉にはなれないわけだ。神様の御名で来られたイエス様であっても(ヨハ5:43)代言者だとヨハネは語る。(1ヨハ2:1)次はイエス様の御言葉についてである。
神様がイエス様へ、イエス様が真理の御霊へ(真理の御霊の助け主)、真理の御霊があなた方へ伝えてくれる、とヨハネの福音書16章13~15節で言われた。また、黙示録5章から10章まで伝えている内容を見ると、イエス様が封じた書物を、神様から戴いて開き、その書物を御使いに与えて、ヨハネに伝え、ヨハネはその書物の御言葉を民達に伝えた。この為、イエス様と、イエス様と共に居た人々だけが正統となり、それ以外は皆、伝統という形になるのである。
異端の根本は悪魔、まさにサタンを指す。神様の御霊ではなく、悪霊を受けて嘘(非真理)を言う者が異端である。ガラテヤ書1章6~9節の御言葉通り、イエス様を通して弟子たちの伝えた福音(新約の御言葉)以外を伝えるのが異端であり、その行為が主の戒めから外れた故に、異端となる。愛や許しを請うこともせず、人に害を与えるために嘘をつき、迫害をし、批判する偽善の行為も異端である。
時代ごとの牧師たちは自分の聖徒たちが御言葉(御霊)についていった事に嫉妬した。御言葉を与える人を逆に異端視して、悪魔であると責め立て、殺した。神様の送って下さった旧約の先知者たちや新約の初臨のイエス様とその弟子たちをも迫害し続けた。当時の牧師たちこそが悪魔の元で働いた異端である。
当時の牧師に所属していた信者たちは自分の牧師の言葉と行動が正しいものだと思っていたに違いない。盗人猛々しいという言葉のように悪魔が神様の真似をし、非真理が正統の真似をすることで非真理が権威を持ち、誠の真理が真理として認められず、見下げられてきた。「人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ18:8)
そして黙示録の時になると、万国は惑わされ、悪魔と結婚をすると書かれている。また、主の御前に立っている二人の証人は殺される。
聖書が全く分からないと分別が出来なくなる。本物を異端と言ったり偽者を正統だと言ったりすることがないよう、聖書の中に入って本当のことを分かるようにしよう。
聖書の御心が何であるかを分からない以上、異端や正統を区分し、批判する資格はない。黙示録の本当の意味が分からなければ、とりあえず、教えて貰う必要がある。人を呪うことよりまず、習い、悟って、信じることだ。そのような人に福は来る。
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