約束された牧師
● 旧約聖書の約束された牧師
神様は、乙女を通して息子を産ませ、その息子と一つになることを約束された(詩2:7、イザ7:14)。そして、誰も知ることのなかった黙示を開き、人の子に見せて食べさせ、逆らうイスラエルへ向かい、伝えることをも約束された(イザ29:9~14、ハバ2:2~3、エゼ1,2,3、章)。この預言は、約束通りにイエス様が来られたことで全て成しとげられた(マタ1章、マタ11:27、マタ15:24、ヨハ1:32、ヨハ10:30、ヨハ19:30)。神様は先知者も先見者も知ることが出来なかった黙示を開いて、イエス様に与え、イエス様に降臨され共に居られていた。そして、神さまはイエス様をヨハネの福音書5章37~39節にて証しされ、聖書はイエス様について証ししている物であると言われた。旧約聖書の預言とは、イエス様お一人について知らせ、証するための物である。そして、バプテスマ・ヨハネはエリヤの名で、イエス様は父なる神様の御名で来られた(マタ11:10~14、マタ17:10~13、ヨハ5:43)。旧約聖書を信じ、天国や約束の牧師を待ちわびる聖徒は救い主であられるイエス様を信じること、即ち本物の信仰をすることが出来た(ヨハ6:40)。
● 新約聖書で約束された牧師
初臨で来られたイエス様は、再び来られることを約束した(ヨハ14:1~3)。マタイの福音書23章39節には「主の御名によって来られる方に、あなたがたが言う時まで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」と書かれてある。主の御名によって来られる方とは誰なのか。この方は、真理の御霊である助け主である(ヨハ14:16~17、26)。また、主の御名によって来られるこの御霊は人のところに来て、その人とともに住むとなる。 この人は誰を指している言葉だろうか。
バプテスマ・ヨハネがエリヤの名によって(マタ11:10~14、マタ17:10~13、ルカ1:13~17)、イエス様が神様の御名で来られたように(ヨハ5:43)、真理の御霊であられる助け主もまた、イエス様の御名で来られる(ヨハ14:26)。
そして、神様の御霊が世に勝ったイエス様の中(ヨハ16:33)に居られるように(ヨハ14:9~11)、真理の御霊も選ばれた人(勝利者)の中に居られる。
この方とは、ヨハネの黙示録2章、3章の約束通り、ヨハネの黙示録12章の女から生まれて来た者であり、鉄の杖で万国を治める者であり(黙2:26~27)、神様の御座へ上った者で(黙3:21、黙4章)、竜の七つの頭と十本の角を持つ獣と戦って勝利を得た者である(黙12章)。この勝利を得た者をヨハネの黙示録21章7節では神様の子として相続を継ぐ者だといっている。また、ヨハネの福音書14章「イエス様の御名によって来たる真理の御霊である助け主」とは神様の御霊がイエス様の中で働くように勝利者の中で働くということだ。この約束の御言葉を信じる人とはイエス様の御言葉を信じる人であり、信じない人とは、イエス様とその御言葉をも信じない人である。
上記でも言ったが、ヨハネの福音書5章37~39節で、神様は聖書を通してイエス様のことを証し、旧約聖書とはイエス様のことを証した物であった。これと同じく、イエス様は聖書で助け主を証し、新約聖書を通して助け主を証ししている。
旧約聖書であるイザヤ書29章9~14節には、封じられた書物が登場する。そして、それが成し遂げられる定められた時があると語っている(ハバ2:2~3)。エゼキエル1,2,3章のように、神様は書物を開いてイエス様に与え(マタ11:27、ヨハ17:8)、指示された通りに啓示を受け、(マタ11:27)御言葉に逆らうイスラエルの民に伝えた(マタ15:24)。この時、イザヤ書の預言(イザ29:9~13)通りに、人の戒めで教える牧師達が、神様の啓示を受けて教えるイエス様を異端だと言って迫害をする(ヨハ8章)。
このように、今日も新約聖書ヨハネの黙示録5章の御言葉通り、封じられた神様の書物を天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなかったが、勝利を得たイエス様が受け取ったことによって、封じられた書物の封印が解き開かれる。それから、選ばれた人にその啓示を見せて食べさせ(黙10章)、啓示の御言葉を伝える処へ(部族、民族、国語、国民―黙13:7、黙17:15参考)指示を下した。この時に、人の戒めで教えた者達は、神様の啓示の御言葉を悟ることが出来ずに、啓示を教えている処を異端であるとする。しかし、賢明な信仰人であるならば、確かめた上で教訓を学び認めるであろう。
新天地イエス教は聖書的に賢く霊的な良い種である信仰人達が東西南北から収穫されて集まり(ルカ13:27~30、マタ8:11、マタ24:31、黙14:1~4、14~16)、新約の預言通りに成し遂げられた実証のある処である。この場所に収穫されなかった者達は、審判の時(ヨハ12:48、黙20:12~15)になって、これを聞いた覚えはないと言うことはできないだろう。この時、ヨハネの黙示録21章8節、ヨハネの黙示録22章15節では、犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、偽りを好み、かつこれを行う者は皆、都の外に追い出され、火と硫黄の燃える池に投げ込まれると預言されている。また、マタイの福音書7章2節には、あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られると書かれている。
今は誰であっても聖書の前に立って自分の信仰を自ら点検すべき時である(黙22:18~19、申30:1~20参考)。新天地イエス教は地上の全ての聖徒が新約の預言と実像を見て信じ、救いに至ることを祈っている。
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