本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
教権と殺し
聖書を廃棄することはできない(ヨハ10:35)、本に書き記されているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた(黙20:12)
自分を光り輝く御使いに仮装して、イエス様の御名で教権を握って、自分の言うことを聞かない聖徒を殺して精神病院に送らせる行為、これをどうしてイエス様の愛と赦しであると言えるだろうか(マタ24:4~5、Ⅱコリ11:13~15、ヨハ16:1~4、ルカ20:9~15、マタ5:10~12)。
そしてイエス様の戒めを守らない者をどうしてイエス様を信じていると言えて、また正統であると言えるだろうか。神様とイエス様は罪人のためにご自分の命まで犠牲にしてくださった。代わりに十字架を背負ってもくれないのに聖徒を迫害して殺すと、上の聖句(黙20:12)によって裁かれるようになる。どれが正しいいか、どれが聖書的か、聖書をもって判断しなければならない。自分の言うことを聞かないからといって弟を殺したカインのような悪い者に(Ⅰヨハ3:12)の所属されないで、愛と善を行う聖徒たちと一つにならなければいけないのである。
イエス様はヨハネの福音書16章1~2節で、人々はあなたがたを追放するだけではなくて、むしろあなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神様に奉仕しているのだと思っていると言われた通りに、今自分たちのいる教会へと改宗しないと殺すといったら、聖徒を精神病院に監禁させるそういうところが正統か、異端か、これが正しい信仰か、信仰の迫害かとの答えを聖書で探して悟ろう。イエス様はこのような悪行があるということを前もって聖書で知らせてくださった。
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