本当に正しく知ろう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
信じて、従順して、低くする信仰
聖書の言葉がすたることはあり得ない(ヨハネ10:35)、自分のしわざに応じ、書物に書かれていることに従いさばかれる。(啓20:12)
イエス様は低くなる人が高くなるのだと仰い、末席に座ったほうがよいと仰った。 明けの明星(イザ14:12~15)は神の星の上に自分の王座をおき、いと高き者のようになろうし、エデンの園の天使長ケルブは自分のことを神様だと言った。(エゼ28章)これは神様の戒めではなく、自分のことを高くする行為で逆賊行いになる。今日の信仰世界のように(お金で牧師の証を買ったり、神学博士の学位をお金で買ったり) 老會長·総会長になるため、お金を使ったり、ロビー活動をしたり教権を持つ人が一体、イエス様の戒めを信じて守る信仰人だと言えるのか。自分自身を低くする人だと言えるのか。牧師が高くなることのために、ロビー活動を行うといても、その活動費用でさえも、自分のお金ではないだろう。本当にイエス様の戒めの御言葉を信じる信仰人であるならば、人のお金を乱用してまで高くなり、教権に挑むことはしないだろう。
審判の時には、誰であっても自分の行為が鏡に移るように明らかになる。肉的なイスラエルは主の従順せずに、御言葉を信じなかったために、望みに入ることが出来なかった。これからのわたし達は信じて従順し、行こう。それが、迫害する処から迫害される処へ行くこと、まさに救いの箱船に乗ることなのだ。すなわち、これこそ狭くて狭窄な命の道である。
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