2014年2月10日月曜日

新天地、背教と迫害

に正しく知りましょう。聖書と新天地

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。
また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。


背教と迫害


聖書を廃棄することはできない(ヨハ10:35)、本に書き記されているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた(啓示20:12)

聖書で言っているサタンはすなわち背教した御使いであった(啓示9章、イザ14章、エゼ28)。そのサタンはアダムとエバを惑わして、背教したユダ(イスカリオテのユダ)の中に入っては自分の師匠であるイエス様を売らせた(3章、ヨハ13:2127)。霊、肉の背教者はカインとバラムのように悪い者に所属され(Ⅰヨハ3:12)、犬と豚のように扱われる(Ⅱペテ2章)。善から離れて悪い木の枝となったから(エレ2:21参考)選民を惑わして迫害するようになるのである。

悪いもの渡来は左端の働きによって、偽りの力、しるしを持って現れる(Ⅱテサ2:912)。私たち(12支派)の中で使命を任されて働きながら高くなろうとするつもりで自分の領域とおるべきところを離れてカインやバラムのように悪いものの所属になって党を作って惑わしたり、迫害する者は、聖書に記録されてる敵キリストの実体となるのである(Ⅰヨハ2:1819、ユダ1:61719、マタ24:2425)。敵も愛して、赦して、飢えているなら糧を与えることが神様とイエス様の本当の御心である。この戒めを守らないで、むしろ批判して、迫害して、呪って、殺して、嘘をついて、閉じ込める行為は悪から出たものである。

 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです(ガラ2:20)。もし、背教して離れた者の中にキリストの霊がいるなら‘敵を愛しなさい’と言われたその方が以上のように迫害と呪いすることに明け暮れているだろうか。背教して迫害する者は主の戒めを守って悔い改めて反省できる者になることを祈る。

私たちの救いである誇るべき十字架の道を信じて遵守しよう。

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