本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
新旧約聖書の黙示、預言と成就
聖書を廃棄することはできない(ヨハ10:35)、その実でその木が分かる(マタ7:15~20)。本に書き記されているところに従って、自分の行いに応じてさばかれる(黙20:12)。神様が旧約の先知者たちに約束された黙示の預言はイエス様が来られて成し遂げられて(ヨハ19:30)、イエス様が弟子たちに約束された新約の黙示(啓示)の預言は再臨の時約束された勝利者を通して成し遂げられる(黙21:6)。人の戒めだけで教えてきた牧者たちが黙示の本の内容が成し遂げられる時は驚いてまた驚く(イザ29:9~14)。この黙示は記録された通りにもっとも驚くべきのことである。神様が封じられた本の黙示は必ず成し遂げる時があって(ハバ2:2~3)、成し遂げるときは選民が異邦に捕らわれている時で、この時、神様が人の子に来られて封じられていた本を開いてお示しになって、食べさせられた後、堕落して捕らわれていたイスラエルもの民たちに遣わされて代言させられるといった預言であって、この預言は約600年後、神様がイエス様に来られて成し遂げられた(マタ15:24)。
このように新約の封じられた本もイエス様が神様の御手から受け取られ、開いて御使いを通して選ばれた牧者に渡され食べさせて宣べ伝えるべき所を決めてくださった(黙10章)。旧約の黙示と新約の啓示は天上天下の誰も開いたり見たりするのにふさわしい者がいなくて、ただイエス様だけが開かれて(黙5:1~7、6章、8:1~2)、開かれた本を与えられた一人だけがこの啓示を宣べ伝えられるようになる(黙10章)。この人は啓示録の全章の実態を見て聞いて啓示の御言葉を与えられた(黙1:1~3)。すべての聖徒たちは啓示を与えられた牧者に教えられなければ主の御心のまま行うことができないことを知らなければならないし、主の御心を知って開かれた本と成就されたことを見て聞いた者に証されることによって、見て分かるようになり、救われることを知らなければならない。啓示録に書かれている内容を加減したら救われないと言われた(黙22:18~19)。自分自身に問うてみよう。啓示録のことを知っているのかと。神様の御前で良心を騙せないで救われるために来て習わなければいけないのである。「救われた、正統だ」のような嘘はもうやめて素直に悔い改めて、来て習わなければならない。今はノアの時のようだ。約束の御言葉に従順して箱舟に乗った者だけが救われる。ノアの言葉を聞かなかった者は滅ぼされて、聞いた者たちは救われた。この御言葉を真に信じるのか?信じて悟って救われよう。
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