新天地人になったプライド
新天地で印を押された聖徒たちは、世の中が未だに悟っていない聖書を通達したというプライドと信仰を持っている。
神様の印を押されている新天地は、罪を犯したアダムの世界を審判してから再び立てられたノアの世界と同様、また、罪を犯したノアの世界であったカナンが審判されてから立てられたアブラハムとイサクとヤコブの世界、まさにモーセの世界と同じであり、肉的なイスラエルの立法と先知者と預言を終えてから立てられた霊的なイスラエルやイエス様、12弟子の世界と同じである。
今日、霊的な新しいイスラエル12支派として創造された新天地人は新しい契約通りに神様の法(御言葉)を思いと心に刻み、印を押されることで罪を贖われ、神様の民になり、神様は新しい契約を守っている新天地の神様になった。(へブ8:7~13)新約聖書の通りに創造される神様の創作物に傷をつけるために嘘を作り出し、知れ渡し、邪魔をする者は神様から罰を受けるようになり、火と硫黄の燃えている池の中が、彼らが受けるべき報いであると黙示録21章8節に記録されている。
御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制である。(ガラテヤ5:22~26)また、真実と約束の御言葉と信仰故に、私たちは御霊で生きるために御霊で行うべきである。
● 新天地人たちの信仰
新天地人は新約のイエス様の約束なさった契約の御言葉、即ち一つの時代(第一幕屋)が終わり(黙6章)、イエス様の血で買った国と祭司長とそれから血で罪を贖われた白い衣を着た群れ(聖なる第二幕屋の時代)の創造を信じる。(黙5:9~10、黙7:1~14)新天地人は黙示録5章と7章と14章での収穫された初穂である。この実とは月ごとに12種の実を結ぶ命の木の実であり、真理の御言葉から生まれてきた人々である(ヤコブ1:18)。12種の実を結ぶ命の木は今日創造されている新天地12支派である(黙22:1~5)。モーセの時代、エジプトの人々はモーセを通して伝わった神様の御言葉を信じなかったが、アブラハムの子孫であったイスラエルは信じた。今日も神様の種から生まれてきた人々は神様の約束である新約の御言葉を信じるであろう。
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イエス様の十字架と私
新天地人「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラ2:20)」
人の心は神様の御言葉を受ける畑であり、神様に仕える家(聖殿)である(1コリン3:9、16~17)。光と生命であられる神様は人の罪のために行き去って(創6章)離れていかれたので、再び、全てのものにおいて全てのものになられようとされた(1コリン15:28)。
イエス様が十字架に架かり、人の罪の代わりを背負ってくださったことで、わたし達の罪は贖われ、神様と敵であった私たちを愛でもう一度、神様と一つになることができるようにして下さった。その証拠となるのが、イエス様が十字架につけられてから御霊が人に来られたと言うことである(ヨハ7:37~39、ヨハ20:22~23、使1:4~8、2:1~4)。
イエス様が十字架につけられたことで、十字架の代贖の血を信じて、罪を許された人の中に神様とイエス様は共に在られる(ローマ8:9~11、ガラ4:6、ヨハ14:20、黙3:20)。
神様は、罪のないイエス様の中に在られたように、黙示録の時(黙5:9~10、7章)にも、イエス様を信じる者の中に居られる。この時、初臨のように悪魔の神の中にいる者がイエス様と共にいる人々を迫害するようになる。それは、彼らを主観する各々の神が異なる故である。この時、神様に属している者は神様の言葉を遣い、世の中に属している者は世の言葉や自分の言葉を遣う( 1ヨハ4:5~6)。
だれであってもキリストの御霊がない者はキリスト人を迫害するようになる(ローマ8:9)。その魂が悪霊であるために迫害をする。
新天地人であるプライドとは、聖書を通達すること(1コリン2:10)、新約に約束された12支派の家族になったことと(黙7章)、イエス様の血で罪を贖われ、イエス様の中でいること(黙5:9~10、7:13~15)、イエス様が自分の中に居られることを喜びに思うことである。(ヨハ14:20、1ヨハ1:4)
悪人達は聖書に無知で、しきたりや昔の人の言い伝えを重んじて、昔の先知使徒達のことを迫害した時のように、新天地人を迫害するが、かえって新天地人は聖書通りである為に喜ぶ(マタ5:11~12)。神様の新しい御国の民である新天地人はわたし達の救いである自慢の十字架の道と世界のあらゆる民族のため、休まずに祈っている。
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