本当に正しく知ろう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
三位一体の神様
わたし達、キリスト教の信仰は三位の神様と三位一体の神様のことを信じている。
( マタ 28:19-20 )
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
聖書に三位一体と言う言葉はない。それは三つの席が一つの体にあるという意味である。人が勝手に聖書の記録を読んで、三位一体と名付けた。上の成句は父と息子と御霊は三位であることを示している。しかし、イエス様と言う一つの肉体に御霊が来られ(マタ3:16)、神様はイエス様の中に居られるので(ヨハ14:10)聖なる父、聖なる子、聖なる御霊、この三位が一つの体にいるから一体と言う。ヨハネ10章30節でイエス様は「父とわたしは一つである」と言われた。こうして三位一体になる。イエス様が肉体から離れて個体で居られる時には各々三つの位として居られた。
神様の御言葉を語る人に神様は聖霊を限りなく賜った(ヨハ3:34)。ステパノは御霊に満たされ、イエス様が神様の右に立っておられることを証した(使7:55~56)。このようにステパノは御霊に満たされて、神様とイエス様が各々個体で居られている姿を見たのだ。聖書はすたれることがあり得ない。(ヨハ10:35)
イエス様がこの地で働いていた時、神様と御霊はイエス様の中に居られていたことが分かる。聖書に書かれてある通り、わたし達が御霊を与えられ、イエス様の御霊がわたし達の中に居られると(ヨハ7:38~39)三位が一つの体の中に居られるようになる。(約束された成句:ローマ8:9、ガラ4:1~7、ヨハ14:20、黙3:20)この事のために、イエス様が十字架につけられた。末世になるとキリスト教の世界では、多くの偽先知者と多くの敵キリストが現れると言われている。(マタ24:11、24)
神様の戒めの一つめが神様をおいて他に神があってはならない(出20:1~3)、二つめは像を作ってひれ伏したり、仕えたりしてはならない、ということである。(出20:4~6)。ソロモンが他の神にひれ伏して、仕えたことで、その国は滅ぼされた。(1列11章)。カトリック教会から分かれた改革派の中には、日本の天皇を拝んだ教団に向かって、そこに救いはないといい、分かれて出た教団がある。今は本当に誠と御霊で祈る時で(ヨハ4:23~24参考)、聖なる父、聖なる子、聖なる御霊と一つになって従順していく時である。
以上のことのように、主の中で死んだ人々は最後の七つ目のラッパの音がする時、聖なる体(神霊体)で神様と共に来られる。(1コリント15:51~54、1テサロニケ4:13~16) この時、水と御霊で新しい被造物に生まれ変わった、わたし達には死も、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものは皆消え去ったのである。(ヨハネ3:3~7、2コリント5:17、黙21:4)死人は朽ちない者に蘇らされ、朽ちるものは朽ちないものになった時、死は命にのまれる。
この御言葉を信じるべきである。人の言いなりになるのではではなく、神様の言われた御言葉通りになることを信じよう。
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