本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
時代的な事件と預言
聖書で確認することが出来る曲がった時代の牧師達と、その時に神様が選んだ先知者(代言者)達の立場と、曲がった牧師の中にいた人々の実態は次のようである。
神様の御心通りに建てられたアダムの世界、ノアの世界、モーセの世界であったが、除々に腐敗していき、古くなり本質を失ってしまった。今日も、イエス様の時代とは異なり、腐敗して本質は失われ、人間主義、権威主義になってしまった。このような時に、神様が代言者として立て、その御心の中心となった人物がノア、アブラハム、イエス様のような正しい人々である。当時、彼らは牧師でもなく一般の聖徒で、知識も長けているとはいえなかった。しかし、神様は彼らと共に居られた。その中でも、サウロは学者であったが、天から啓示を受けた後、自分のことを塵芥(ちりあくた)のように思い捨て(ピリ3:4~8)天の啓示を選ぶこととなる。
イエス様も学問を学ばなかったと聖書に書かれている。(ヨハ7:15)だが、これらの人々には天の深みまでも理解出来る御霊が共に居られた。そして、御霊を受けた人々は学ぶこともなかった外国語までも話すことが出来た。これが神からなる信仰であり宗教だ。(1コリン2:10、使2:1~4)
しかし、その時代のために神様が送ってくださった先知者たちは、当時、教権を持っていた牧師達によって迫害を受け、皆殺しにされた。さらに、イエス様とその弟子たちも、祭司長等によって殺された。この時、祭司長たちの所属である聖徒たちは祭司長たちと一つになる。主の再臨の時も主の御前に立っている二人の証人を殺すと書かれている。(マタ23:33~36、ルカ20:9~16、使7:51~54、黙11章、13章)
何故、この様な出来事が起こってしまうのか。
その理由は三つある。一つは、七つの封印で封じられた神様の巻物を天上天下に、それを見るのにふさわしい者が存在せずに、人の戒めだけで教えられ、口では主よ、主よ、と言っても、心は神様と離れた外国人、まさに異邦人であったため(エペ2:12、イザ29:9~13、黙5:1~3)だ。
二つめは、封印を解いて巻物を開き、開かれた啓示の御言葉を伝える際に人の戒めと異なったため異端とみなされ、迫害を受けるようになった。
三つめは、腐敗した彼らの心がサタンの居所になり、サタンの神が入っていたので、御霊と共にいる人のことを憎み、殺した。
今日はこのように、イザヤやヨハネが言った(イザ29:9~13、黙5:1~3)封じられた巻物の啓示の内容を知り、啓示の内容を話す人物を憎むことはないだろう。
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