本当に正しく知ろう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
信仰、信じる事と従順
今のわたし達信仰人は神様の本、聖書を基準として信仰をしている。アダムとエバは不従順して蛇、即ちサタンに従順してしまった。このことでサタン、即ち罪が人の中に入るようになり、それが不従順の種になってしまった。その後、アダムの家族たちは不従順の子らになった。(創5章、6:1~7)
当時、神様は義人だったノアと共にいらっしゃっていた。(創6:8~12)しかし、神の人から肉的に戻った人々の心はその計画がいつも悪だった。それで神様は人をお作りになったことを後悔し、地面の全てを拭い去ることをノアに知らせ、幾多の間に洪水から避ける船を作るように命じられた。ノアが世の中に洪水があることを知らせたが、彼らは曲がっていて全く聞いていなかった。
今日の信仰人達は主再臨の時、世の中(アダムのような信仰人達)は曲がっていたノアの時と同じであるというイエス様の預言の御言葉(マタ24:37~39)を思い出して、御言葉を信じ、救いの避け所を探さなければならないのだ。こういうことを心に刻み付けなければならないのだ。
神様に恵みを受けていた義人のノア世界が犯罪したアダム世界が洪水で滅亡されるのを見てても、又、同じような罪を犯したのでアブラハム、モーセ、ヨシュアを立ててノア世界であったカナン民族を神様は滅亡させた。モーセの時にエジプトから出たイスラエル人の中で神様のこと信じず、カナン民族のことを怖がっていた人々は従順が出来ず皆死んで、残りの子孫がカナンの地に入った。
神様が創造して立てたとしても、信じなくて従順しないとアダムのようにカナンのように悪で曲がった異邦人のようになって、犯罪した御使いのように敵になってしまう。その後、肉的なイスラエルはソロモンが神様の戒めの第一である「わたしをおいてほかに神があってはならない」という戒めを破って異邦の神に拝んだことで、北の方11支派は異邦になり、南のユダヤとエルサレムもイザヤ1章のように異邦に潰されて滅亡された。これが神様のことを裏切って異邦の神に拝んだ報いだった。その後、彼らは神様の離れていたアダムの世界のようにもう彼らと一緒にいらっしゃっていないのに選民のふりをしながら彼ら同士で祭司長を立てて悪行を続けてきた。(ミカ3章、イザ1章)この時、神様は将来成し遂げることを預言する代言の使者、即ち先知者らを送ったけれど、彼らは悪で曲がっていたので神様の送って下さった人毎に全部殺した。(ルカ20:9~15、マタ23:34)あの後、旧約の預言通りイエス様が来られて、あの預言を成し遂げて、又、将来のことを預言したが、イエス様とその弟子たちはあの頃の牧師らに皆犠牲された。
イエス様の預言通り成し遂げられる今日はどうだと新約に書かれてあるのか?全世界が初臨の時のように(マタ4:8~10)万国が惑わされて悪魔の世界になるのだ(啓16、17、18章)と記録されてある。
選民であった太陽、月、星たち(マタ24章、啓6章)が暗くなって天から落ちると書いてあるし、ノアの時、ロトの時とも同じだと仰っている。この御言葉から思うと「救いを受けた、正統なのだ、御霊を受けた」と言う言葉は信じられないのだ。
今日、偽の神学博士や偽の牧師はいないのか? 啓示録16章、17章の「悪霊の霊に導かれ、淫行のぶどう酒に酔っ払っている」と言う天下の王たちが今日の偽牧師たちだったら、時代的な状況は初臨と同じだと見なければならない。(マタ23章、マタ4:8~9)
アダムの時、カナンの時、イエス様初臨の時、そしてイエス様再臨の時である啓示録時に聖徒たちの行くべきの道はどこなのか?わたし達の行くべき道も御言葉であり、師匠にすることも御言葉なのだ。
この時期は約束の御言葉を自分の行く道として主の御言葉を師匠として信仰をする時で、お祈りは自分の自分の部屋でする時なのだ。この時期がノアの時ならば箱舟にならないと救いはないわけだし、イエス様のことが道であり、真理であり、命でならばイエス様の御名で送られた真理の御霊の助けぬしのことを信じることがイエス様のことを信じる事になる。(ヨハ14章、16章)
もし、今日になる前に約束された真理の御霊である助けぬしが居てたら、全ての教団や牧師が真理、即ち神様の御言葉(ヨハ17:17)が分かって教えているはずなのだ。しかし、今まで知らないと言うことは約束された代言の御霊が彼らにまだ来ていないと言う証拠なのだ。
今、この世にイエス様の仰った(ヨハ14:26)約束、預言についてその意味を解けることが出来る所が新天地以外にまたあるのだろうか。
新天地以外にはその意味を説明することが出来ない、ただ新天地だけに解けることが出来るのだ。啓示録10章の開かれた御言葉と預言通り成就されたのを見て聞いて証している事実がその証拠である。
迫害するため産まれてきたわけではないなら、悪魔の悪霊が入ってないなら会話で解けていかなければならない。知らないのなら正直に教えて貰わなければならないし、知っているのなら教えてあげるのが本当の信仰人がするべきの本分なのだ。 新約、旧約の先知使徒たちを殺し、末世に主の御前に立っている二人の証人を殺し、選民の幕屋を滅亡させる牧師の言葉を信じる群れに属され、救いを貰うことが出来なくなるのだ。
人を嫉妬して、呪って、悪口を言って、迫害をして、批判するゼミなどは悪魔の仕業であることを聖書を通して分からなければならない。主が血を流して約束して下さった御言葉を信じ、その御言葉に従順して救われる信仰人になることを祈る。
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