本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
教会と聖殿
神様はアダムの犯した罪からノアを立て、ハムが罪をしたことによって、ノアの世界(カナンの世界)を滅亡させ、モーセとヨシュアを立てた。また、神様はアブラハムとの約束を、モーセを通して果たし、イスラエルの民をエジプトから脱出させた。(出12章)それから、ヨシュアを通じて、約束の地であるシェケムに導いた。(ヨシ24:25)
その後、神様と契約をしたイスラエルが、士師時代を過ぎ王権時代になった時、ソロモン王が異邦の神を拝んだことによって、イスラエルが南北に分けられることになり(1列11章)、ユダやエルサレムも異邦に飲み込まれてしまう。(イザ1章)イエス様が来られる以前は、モーセの律法が王権を握った時代であり、供え物と祭司を捧げる聖殿時代であった。しかし、イエス様の時代からは、祭祀や燔祭よりも神様を知ることが重要である天の福音時代に変わる。そして、教会時代が始まる。
教会とは集まって〔集〕教える[敎]と言う意味である。聖殿とは聖なる[聖]場所[殿]と言う意味である。しかし、教会の建物に神様ではなく、悪魔が存在するのであるならば、そこはすでに聖殿とは言えない。小屋でも宮殿でも神様のおられる場所が聖殿であるからだ。神様が人の心におられる時、イエス様が聖殿であられたように人が聖殿となる(1コリン3:9、16~17)。
モーセの律法や預言、先知者たちがイエス様の時代で終わったように(ルカ16:16)、初臨の教会時代はイエス様の再臨の時である、黙示録1,2,3章の七つの教会、七人の使者の時代までであり、良い種を収穫する時で終わる。この時、種を蒔く牧師も、新約の預言も終わりを告げ、あらゆる諸民がひれ伏す処、証の幕屋聖殿が開かれる(黙15:4~5)。新約を成し遂げた永遠なる福音があり、天から聖なる都である新しいエルサレムが新天地に来る。そして、新しいエルサレムの都である証の幕屋聖殿となる。(黙21:1~6)
この都の中にある聖殿とは主であられる神様とイエス様の光と聖殿である(黙21:22)。聖徒は聖書で時代を区分し、自ら行ってその所属になり一つとなることで望みが叶えられる。四福音書と黙示録のイエス様の御言葉を(始まりと終わり)通して、キリスト教の教会時代の終わりがあってこそ、新しい時代が始まるのだ。聖書の預言を分かって信じようではないか。
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