2014年2月12日水曜日

新天地、教会と聖殿

に正しく知りましょう。聖書と新天地

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。
また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。



教会殿
 

はアダムの犯した罪からノアを立て、ハムが罪をしたことによって、ノアの世界(カナンの世界)を滅亡させ、モセとヨシュアを立てた。また、神はアブラハムとの約束を、モセを通して果たし、イスラエルの民をエジプトから出させた。(出12章)それから、ヨシュアを通じて、約束の地であるシェケムに導いた。(ヨシ24:25 

その後、神と契約をしたイスラエルが、士師時代を過ぎ王時代になった時、ソロモン王が異邦の神をんだことによって、イスラエルが南北に分けられることになり(111章)、ユダやエルサレムも異邦にまれてしまう。(イザ1章)イエスられる以前は、モセの律法が王を握った時代であり、供え物と祭司を捧げる聖殿時代であった。しかし、イエスの時代からは、祭祀や燔祭よりも神を知ることが重要である天の福音時代にわる。そして、教会時代が始まる。

  教会とは集まって〔集〕える[]と言う意味である。聖殿とは聖なる[]場所[殿]と言う意味である。しかし、教会の建物に神ではなく、魔が存在するのであるならば、そこはすでに聖殿とは言えない。小屋でも宮殿でも神のおられる場所が聖殿であるからだ。神が人の心におられる時、イエスが聖殿であられたように人が聖殿となる(1コリン3:91617)。
  
セの律法や預言、先知者たちがイエスの時代で終わったように(ルカ16:16)、初臨の教会時代はイエスの再臨の時である、1,2,3章の七つの教会、七人の使者の時代までであり、良い種を穫する時で終わる。この時、種を蒔く牧師も、新約の預言も終わりを告げ、あらゆる諸民がひれ伏す、証の幕屋聖殿が開かれる(15:45)。新約を成し遂げた永遠なる福音があり、天から聖なる都である新しいエルサレムが新天地にる。そして、新しいエルサレムの都である証の幕屋聖殿となる。(21:16 


この都の中にある聖殿とは主であられる神とイエスの光と聖殿である(21:22)。聖徒は聖書で時代を分し、自ら行ってその所になり一つとなることで望みが叶えられる。四福音書とのイエスの御言葉を(始まりと終わり)通して、キリスト教会時代の終わりがあってこそ、新しい時代が始まるのだ。聖書の預言を分かって信じようではないか。

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