本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
約束された収穫と良い種と毒麦
聖書を廃棄することはできない(ヨハ10:35)。約束した収穫と穀物と毒麦に向けられた審判はどこで行われるのか?神様がアブラハムと結んだ約束と、モーセとその民であるイスラエルと結んだ契約は破棄された(創15:13~21、出19:5~6、エレ31:31~32、ヘブ8:7~13)。それで神様の御心に従ってイエス様がされた新しい契約はすなわち新約である。
神様はエレミヤに種を蒔くことを約束されて(エレ31:27)、その時から約600年が過ぎ、イエス様を通して天の霊的福音の種を蒔かれた。これは旧約を成し遂げられたことである。天の種を蒔いたイエス様は収穫する時があると言われて(マタ13:24~30、36~43)、その時は啓示録画成し遂げられる時である(黙14:14~20)。イエス様が種を蒔いた畑には二種類の種が収穫の時まで一緒に育って、収穫の時には毒麦を焼き尽くすためにまず束ねておいて穀物を収穫して天国へと持っていく。この時畑に残っている者が穀物聖徒なのか、収穫されていく者が穀物聖徒なのか?畑に残っている者が毒麦なのか、収穫されていく者が毒麦なのか?畑は教会であり、収穫する穀物は聖徒たちである。収穫されていけないで、その畑につながれている者は毒麦で、毒麦を束ねる者はその教会の牧者である(マタ23:13)。この時収穫されなかった畑と牧者と毒麦の結果は記録された通り焼かれて無くなってしまう。これはイエス様が言われた通りに話したのである(マタ13:24~30)。この言葉が正しくないと主張するならその根拠を聖書から示さなければいけない。
収穫される初穂は何でできたものか?
種は神様の御言葉である(ルカ8:11)。初穂14万4千は真理の御言葉で生まれた者である(ヤコ1:18、啓示14:1~5)。どこでどうできたのか?いのちの木から毎月12種類にできる(ヨハ15:1~8、黙22:1~2)。この穀物は神様の種でできた神様の子たちで、毒麦は悪魔の子たちである(マタ13:37~39)。神様の御言葉を受けない者は世の中に属した者で、神様に属した者は神様の御言葉を聞くものである(Ⅰヨハ4:5~6)。
神様がエレミヤに種を蒔くことを預言されて、その預言の通りにイエス様と12弟子は種を蒔いて、今日私たちは聖書の御言葉の通りに種が蒔かれた畑に盗人のように行ってイエス様の預言と指示された通りに啓示録の時代に収穫するのである(Ⅰテサ5:1~7、黙14:14~16)。収穫されていく者は神様に属された穀物(神様の種で生まれた子たち)で、収穫されないでその畑につながれている者たちは毒麦である。これが神様の子と毒麦が区分される審判である(マタ13:7~43、ヨハ4:36~37)。
収穫され創造されて12支派の所属ではない者が「正統だの救われただの聖霊を注がれただの」言うのは聖書的理知に合わないものである。聖書に約束された(黙7章、14章)霊的新しいイスラエル12支派所属ではない者たちが自分たちのことを正統であると主張するなら、12支派所属の者たちは彼らに何と言えばいいのか?言う価値すらないであるはずだ。だから聖書を知ってから言わなければいけないのである。終わりの時の聖徒は御言葉の中に入って判断して、約束の御言葉を師匠とし、道とし、信仰しなければいけない時である。
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