本当に正しく分かりましょう。新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため「あなたがたは、然り、然り、否、否と言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。
神様と悪魔の民
善行は神様に属されている人のすることで、悪行は悪魔に属されている人のすることである。聖書の言葉は、すたることがあり得ない(ヨハ10:35)、イエス様は ‘わたしの語ったその言葉が終わりの日にその人をさばくであろう’と仰ったので(ヨハ12:48)誠と偽りに対した審判は新約聖書に書かれてあるイエス様の御言葉でさばかれる。
○ 書かれてあるエス様の御言葉
( マタ 5:10-12 ) 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。*わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。*あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
(マタ7:1-5 ) 人をさばくな。自分がさばかれないためである。 *あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。*なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。*自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせて下さい、と言えようか。*偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
(マタ 5:44 ) しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
(ヨハ15:18-19) もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。*もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世はから選び出したであろう。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
( マタ6:11-12 ) わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。*わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
(マタ6:15 ) もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
イエスを信じる者はイエスの戒めを守るはずで、悪魔に属されている人はイエス様の御言葉を信じても守らない、批判や推し量り、迫害をしたり、嘘をついたり、呪いと悪口を浴びせたりするであろう。このようにその実でその人所属が分かる。神様もイエス様も罪人のため、代わりに十字架を負って下さって、取税人と罪人と共に食べて、飲んで、彼らの友達になって下された。 (マタ 9:11-13, マタ 11:19) わたしたちが神様より、イエス様より、高くて神々しいのか?イエス様のように許しあってお互いに愛しましょう。そしてキリスト教を愛しましょう。また、真理を習いましょう。
(啓 20:12-13 ) また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
(マタ 12:34-37 ) まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである。
(イザ65:5-6) 言う、「あなたはそこに立って、わたし近づいてはならない。さたしはあなたと区別されたものだから」と。これらはわが鼻の煙、ひねもす燃える火である。見よ、この事はわが前にしるされた、「わたしは黙っていないで報い返す。そうだ、わたしは彼らのふところに、彼らの不義と、彼らの先祖たちの不義とを共に報い返す」
( エレ6:10 ) わたしはだれに語り、だれを戒めて、聞かせようか。見よ、彼らの耳は閉ざされて、聞くことができない。見よ、彼らは主の言葉をあざけり、それを喜ばない。
● 神様に属された人と世に属された人
( 1ヨハ4:5~6) 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしからの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。
(ヨハ 3:31~34) 上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。彼はそのみたところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受け入れない。しかし、そのあかしを受け入れる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。
イエス様が罪人を愛し、血を流して下さったように、私たちもお互い愛し合い、許し、救う人になろう。これが救いの道ある。
0 件のコメント:
コメントを投稿