本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰の知識のために公益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真の信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
真と偽り、聖書に基づいて話してみよう
神様は神様の敵となった罪人を愛され、一人子を遣わされて(ヨハ3:16)、獨生聖子は私たちの罪の代わりに十字架を背負われて(ヨハ1:29)、私たちの中に生きておられる(ガラ2:20)。そして敵を愛しなさいと言われて(マタ5:44)、互いの罪を赦しあいなさいと言われた(マタ6:14~15)。この御言葉を信じて行う人はイエス様を信じる聖徒である。そしてこの御言葉に従わない者はイエス様を信じる者ではないし、イエス様の教えから離れた自分の考え、自分の主張、自分の判断の中で行動をする者である。
聖書66巻の中には歴史、教訓、預言、成就がある。アダム、ノア、出エジプト、モーセ、カナンの地入城、ヨシュアの後に士師の時代があって、その後王権時代があって、この王権時代のときに預言する先知時代があって、その後旧約を成し遂げる天の福音の時代があって、その後、使徒たちの福音書信時代があって、今は新約を成し遂げる啓示録である。このときは信じる者と、信じないもの、穀物と毒麦を分ける審判の時である(マタ13:24~30、36~43、マタ25章参考)。
そして人に異端呼ばわりされるからといって異端になって、正統扱いされるからといって正統になれるわけでもない。正統と異端の基準は聖書である。今の教会は正統ではない伝統である。聖書の6千年の歴史の間、律法学者とパリサイ人とユダヤ人は昔の先知使徒たちとイエス様のことを異端呼ばわりして殺した(Ⅰテサ2:15、マタ23:29~35)。神様の啓示の御言葉を宣べ伝えられたイエス様(ヨハ14:10、24)が本当に異端だったのか?彼らは聖書以外の自分たちの法、自分たちの主張で殺したのである(使徒7:51~54、マタ27章)。ピラドさえイエス様は罪がないと言った(マタ27:24)
今日神様の啓示の御言葉を宣べ伝える新天地イエス教を異端呼ばわりした人に聖書の確信聖句40個をあげて解釈するよう要求したが、何年経っても答えが返ってこない。彼は未だに新天地イエス教が異端であると言っている。このように新天地イエス教はイエス様とその弟子たちのように、昔の先知使徒たちのように異端と追い詰められている。新約聖書には、終わりの時にすべての教会が悪霊の国の所有になり、彼らが悪霊と一つになったことを牧者も聖徒たちも分かっていないと言った(啓示13,17,18章)。このようなとき、新約に約束した12支派の印を押された聖徒たちだけが真の神様の御国と祭司長と民となれる(啓示7,14章)。聖書に基づいて語って、聖書に基づいて答えよう。今まで新天地の真剣な対話要求に一回でも応じてくれたことがあったのか?
新天地イエス教の総会長は自分の所有の土地は一坪もないし、部屋一つも持っていない。そしてその奥さんも、その息子にも自分の所有の土地一坪、部屋一つも持っていない。その理由は神様の子は神様の相続者であるために、小さなもので大きいなものを失うようなことはしないからである。ただ神様の御言葉と公義公道を行い、また公義公道に従って教育する。これがどうして異端であるのか?神様の御言葉に立たないで、迫害する側から迫害される方に行く者が逃げたもの、救われる者になるのである。真理に背く者になってはいけない。
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