2015年7月24日金曜日

新天地、韓基総の教法(教理)


韓基総の教法(教理)


 韓基総は、自ら正統と主張して、カルヴァンのように自分の教法に合わない教団を異端と主張して来た。韓基総は、本当に聖書に精通して、啓示の御言葉で教える真理の町なのか?我が新天地イエス教(略称「新天地」)が見る時、韓基総は、非真理の集団に見え、真理ではなく、恣意的教法の権威で教えていると思う。

 我が新天地は、聖書に精通して、啓示の御言葉で新約の預言が応じた実体まであかししている。このような新天地を、ちょうど初臨の時のユダヤ人たちがイエス様にしたように、また、異端と言う、その理由が何なのか?私たちが間違ったあかしをするからだろうか?韓基総の非真理を明らかにしたからだろうか?これを明らかにするため、新天地は、韓基総所属の教団など、キリスト教界に何度も公開討論を提議したが、彼らは応じなかった。聖書に関する40問題、10問題の答を要請したが、返事が未だにない。本当にイエス様とその聖書の御言葉をわからなければ、正直に間違いを悔い改めて、わからないと言わなければならない。我が新天地の中にいる子どもでも、韓基総の教理に聖書で勝利する事ができる。

 韓基総は、多くの教団が集まって、注釈の本も多くの教団の牧者たちが著述したものだとわかっている。韓基総が、その注釈の本を認めるならば、韓基総の教理は非真理であり、韓基総所属の諸教団は、まことの異端である。パウロは、ガラテヤ書1章に「私たちが伝える福音以外に他の福音を伝えるならば呪われる」と言った。韓基総が立てた異端鑑別師たちが聖書を解釈したものを見ると、本当に話しにならない。彼らの偽りのあかしを見て、私たちは、「あなたがたが見たんですか?聞いたんですか?受けたんですか?」と聞いてみたい。「大豆」を「小豆」と言ったならば、「よくわからないから、そう言ったんでしょ」と言うが、「舟」を「カエル」と言ったなら、だれが信じるのか?こんなふうに教えているので、真理と言えるのか?韓基総所属の牧者たちの聖書解釈は、図々しく、見るに忍びないだけであり、自ら知識のなさを暴露している。彼らは、漢字の聖書を見て、悟らなければならない。「二人の証人」を「新・旧約」と言って、「四つの生き物」を「四福音書」と言う者たちを正統と言うので、聖書の意味をわかる者たちが見て聞けば、何と言うだろうか?キリスト教が、なぜ、このようになったのか?これは、全て真理よりお金を好んで、資格がない者たちと聖書の知識がない者たちに按手して、牧師の資格を与えたからだと思う。欲と権威のために信仰しないで、真理を悟って、神様に従順して、御言葉を永遠のいのちの食物としなければならないだろう。

 我が新天地は、神様から啓示録10章のように啓示を受けた牧者が啓示録の真相の事件(実像)を見て、指示によってあかしして来て、韓基総に、その啓示を与えて、天国と永遠の命を知らせる努力をして来た。しかし、ずっと啓示を受けないので、天が怒られて、韓基総を解体しようとされる。偽りの放送で私たちをはずかしめたMBC PD手帳が、その事で患難を免れなかったように、韓基総も悔い改めなければ、そのような罰を受ける事になると思う。
 よく知っているように、数多くの牧者たちと聖徒たちが、同時に、新天地に集まって来て、真理の神様が新天地におられる事を事実として確認して、彼らが間違ってあかしした事について悔い改めて、自筆でその事実を神様に記録して知らせて、良心宣言の記者会見を二回も行った。そして、MBC PD手帳が新天地に関して虚偽の放送をした事について、訂正報道、及び、反論報道をする事によって、その間違ってあかしした事を是認した。

 今日、啓示録の預言は成し遂げられて、新天地は、勝利して、約束を受けて、神様の国12支派の祭司長と白い群れ(民たち)を創造した。誰でも、自分の間違いを悔い改めて、神様の国12支派に属する者は、死からいのちに移った者になり、善悪の木からいのちの木に移った事になる。新約を信じず、従順しなければ、ノアの時、ロトの時のようになり、肉的イスラエルように望みに入れない。

 我が新天地は、真理の町、公義公道の神様の国の家族として、神様が共におられて、これによって、我が大韓民国が世界の中心国になり、世界万国がイザヤ2章のように、我が新天地に押し掛けて来るだろう。韓基総所属の改宗牧者と一つになったオ○○牧師は、新天地の教理を盗用している。なぜ、その通りしないで、ぶどう酒に水を混ぜるのだろうか?(イザ1:22)。

 オ氏は、「ゼルバベルを通して印を押されなければならない。神様の印を押されなかった者たちは、イエスを信じても、結局、地獄に行くしかないのである。・・・・ゼルバベルは、・・・神様が特に呼ばれて、選んで、器に使用される神様の働き手を言っておられるのである」と言った。
 聖書で見たように、ゼルバベルは、同名異人の二人の人物がいて(Ⅰ歴3:19、ハガ1:12~15、マタ1:12参考)、印になったゼルバベルは(ハガ2:23)、イエス様を象徴していたのであり、旧約は、イエス様の初臨の時、全て成し遂げられたのである(ヨハ19:30)。新約の約束は、ゼルバベルの使命を持った者が来るのではなく、啓2,3章のイギンジャである約束の牧者が来る。イギンジャは、約束した啓示録2、3章の祝福を受けるようになり、神様も聖なる都新しいエルサレムもイエス様も、イギンジャに臨まれる(啓3:12)。聖書をわからず、開かれた本と啓示を受けもせず、新約に預言された事件の実像を見てもいない者が、一部盗用したものを持って、聖徒たちに間違いを引き起こしてはいけない。
 今日、「イエス様を信じて、救われるのではなく、ゼルバベルを信じてのみ、救われる。」という言葉は、偽キリストの証拠でしかない。真理の聖霊をあかししようとすれば、正しくしなければならない。そのようなでたらめな言葉が、どこにあるのか?彼は、聖書の全体的な内容が比喩、秘事、象徴だと言ったが、それは、事実ではない。また、彼は、「聖書は、定罪の職分しかないのである。だから、この聖書を治める者が出現しなければ、聖書を見る者は、全部罪人になるのである。」と言い、「聖書を信じる者は、全部罪人になるのである。」と言った。このような口から出まかせの言葉は、神様をはずかしめる行為である。また、「神学大学や教会、宗教の指導者たちは、イエス様にだけ関心を置けば、みんないいというようにしている」と言い、また、「水でバプテスマを与えているならば、イエス様を十字架で処刑する罪と同じ罪を犯すのである。」と言ったので、オ氏が韓基総の改宗牧者と一つになった人であるならば、改心教と韓基総は、イエス様を処刑する者たちなのである。これ以外にオ氏があかしした内容には、数多くの呪いの言葉がある。これがどうして偽キリストではないと言えるだろうか?

 これに見ると、韓基総の教理は、一体全体、どんなものがまことなのか?まるで混合された水のようなものである。このゆえに、オ氏も、改宗牧者も、牧師職から退くべきであり、韓基総も解体されてこそ、当然である。もし、オ氏が新天地と聖書的に討論する用意があるならば、韓基総の代表として出て来る事を願うし、新天地は、聖書中心に万民の前で、その偽りをあかしする。もうそれくらいで、イエス様をはずかしめる事をやめて、天国に望みを置いた聖徒たちに、悪口を言った呪いの言葉にけりをつけて、悔い改めなければならない。

 私たち信仰人たちは、聖書的なまことを知って、信じて、従順しよう。私たちは、多くの聖徒が神様の聖霊とその啓示の御言葉に精通する事を祈っている。新約にイエス様が約束された通り新天地は創造されて(啓1:5~6、啓7章、14章、15:2~5、啓21章、22章参考)、世に真理で勝利して(啓12:7~11参考)、啓示を受けて、啓示通り成し遂げられたものを新約の御言葉通りあかししている(啓10章参考)。新天地以外には、新約の啓示と実像を知る者がない。
 今日、新天地の啓示にそっぽを向く仕打ちは、ノアの時のアダムの家族と同じで、ロトの時のソドムの役人たちと同じで、モーセとヨシュアの時のカナンの部族と同じで、イエス様の初臨の時の肉的イスラエルとその祭司長たち(牧者たち)と長老たちと同じである。今日、正統ではない者たちが、人が与えた教権でイエス様と新天地を蔑んでいるが、その結果は、永遠の刑罰が待っているだろう。天国が近づいて来て、新約が成し遂げられたこの時、信じなければ、ノアの時、ロトの時のように、滅亡されるだけである。

 これを知っている新天地は、心から人々を救うために最善を尽くしている。そして、祈っている。

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