2016年1月22日金曜日

新天地、死と命の復活

死と命の復活 
(本文:ヨハ5章(啓2:1~6参考、エゼ37章))


死と命の復活とは、何を指して言われるものなのか?
イエス様が、「・・・・わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです(ヨハ5:24)。」と言われた。また、イエス様がヨハネの福音書19:30に、「完了した。」と言われた。何を完了したという言葉なのか?イエス様がエゼキエル37章の預言を成し遂げられたのである。
神様が人の子エゼキエルに代言させて、死んだイスラエルの骨たちに生気を与えて、墓から出させて(エゼ37:1~13)」、「わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。主であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう(エゼ37:14)。」と言われた。これは、神様が成し遂げられる事をエゼキエルに預言されて、約600年後、イエス様に来られて成し遂げられたので、すなわち、本文のヨハネの福音書5章(19~29節)の事件である。

エゼキエル37章の「死んだ骨たち」は、イスラエルの人々であり(エゼ37:11)、これは、初臨のイエス様の時のエルサレムの人々であった。初臨当時、教権と統治権を間において戦争(霊的)があった。これは、バプテスマのヨハネとパリサイ人である牧者との戦争であり、バプテスマのヨハネは、神様の所属であり、パリサイ人の牧者は、悪魔の所属であった。戦争があったここが、まさに、マタイの福音書23章の現場である。すなわち、エルサレムであった。ここに墓と死んだ骨たちがいたので(マタ23:27)。エゼキエルが言った37章の預言の現場である。イエスが語られたヨハネの福音書5:24の「死」は、パリサイ人たちに滅亡されたエルサレムであり、墓も死んだ骨もエルサレムであり(マタ23章参考)、「いのち」は、イエス様である。
エルサレム、すなわち、死んだ骨たち(霊が死んだ者たち)がいる墓に向かってイエス様が語られたのであり、イエス様の御言葉を聞いて、エルサレムからイエス様に出て来た者たちが、死から命に出て来た者たちであり、墓からいのちに出て来た者たちなのである。これは、エゼキエルの預言がイエス様の時、実像で成し遂げられたのである。エゼキエルに預言されたその神様が、イエス様に来られて成し遂げられた事を、イエス様が見て代言されたのである。これは、初臨の時、旧約(預言)が成し遂げられたのである。

2千年前にイエス様が約束された新約の預言と、その成就は、次のようである。
啓示録13章にパリサイ人のようなサタンの牧者が神様の幕屋(天の幕屋)に入って来て、聖徒と戦って勝利して、幕屋を滅亡させたので、この天の幕屋は、墓であり、死んだ骨たちがいる所である。啓示録10章でイエス様の啓示を受けた牧者は、イエス様が行われる事を見て、啓示録13章の幕屋、すなわち、墓の中にいる者たちに代言する。この時、御言葉を受け入れる者たちは、墓(死)からいのちの復活に出て来るようになり、啓示録16章のような審判を受けなくなる。

初臨の時は、神様と聖書があかしした約束の牧者イエス様を(ヨハ5:3739)を通して救いがあり、再臨の時は、約束の牧者イギンジャを(啓2~3章、10章、12章参考)通して救いがあるようになる。


聖書は、廃棄できない(ヨハ10:35)。御言葉を信じて、約束を守る者は、このあかしがまことである事を知るだろう。御心を悟って、救われる者になる事を祈っている。アーメン!

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