2015年7月13日月曜日

新天地、保恵師聖霊

保恵師聖霊

(本文:ヨハ14章、15章、16章)



 本文の保恵師聖霊は、何を言っているのだろうか?
 ヨハネの福音書14章、15章、16章は、保恵師について語られている。保恵師の意味は、「恵で保護する師」という意味である。保恵師は、代言者なので(Ⅰヨハ2:1、「代言者」下段注参考)、霊も保恵師になり、人も保恵師になる。
 イザヤ19章に来られると約束された神様は、霊でイエス様に来られて(マタ3:16~17、ヨハ1:32)、イエス様の中におられて、イエス様の口を通して語られた(ヨハ14:1024)。このイエス様を代言者、すなわち、保恵師と言った。そして、啓示録19章と22章では、天使がヨハネに、「私はあなたと同じしもべです。」と言い、自分を「代言の霊である。」と言った(啓19:1022:8~9)。


ヨハ14章

 イエスが十字架にかかられる時間が迫った来た時、弟子たちを安心させられて、「わたしが行くのはあなたがたの場所(住まい)を備えるためであり、場所が備えられたら来て住まいを共にするだろう。」と知らせて下さり(2~3節)、イエス様は、ご自身が「天国に行く道」なので、「わたしによらないでは父に来る事がない。」と言われた(4~6節)。
 本文で見たように、当時の弟子たちは、神様とイエス様についてよくわからないようである(7節)。来られた神様がイエス様の中におられる事をよくわからないので、ピリポは、イエス様に父を見せて下さいと言い、イエス様は、ご自身を見た者が父を見たのだと言われた(8~11節)。イエス様を愛する者は、イエス様の戒めを守る者であり(1521節)、何でも求めるものは、イエス様の名で求めてのみ、得るようになると教えて下さった(13~14節)。そして、イエスが「もう一人の保恵師」を遣わして下さると言われ、この保恵師は、真理の聖霊であり、人の中におられると言われた(16~17節)。これは、神様の霊がイエス様の中におられながら、イエス様を通して語られたように、保恵師聖霊も人(選ばれた牧者)の中で、その人を通して語られるようになるのである。

 場所を備えて来られるイエス様は、イエス様の御言葉を守る者たちと住まいを共にされる事を知らせて下さった(ヨハ14:23)。来られる保恵師聖霊は、マタイの福音書23章39節のように、主の名で来られるようになり、主が初臨の時語られた新約の御言葉を思い出させ(26節)、人々を真理の中に導かれる師であられる(ヨハ16:13)。
 記録されたように、バプテスマのヨハネは、エリヤの名(マタ11:12~14、ルカ1:17)で来られて、イエス様は、父の名(ヨハ5:43)で来られ、保恵師は、イエスの名(ヨハ16:26)で来られる事を信じなければならない。これを語られたのは、約束通り成し遂げられる時、見て信じさせようと言われたのである(29節)。


ヨハ15章

 イエスが、ご自身を弟子たちと一つになった、実を結ぶまことのぶどうの木と言われて(1~8節)、「父がわたしを愛されるように、わたしもあなたがたを愛するので、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言われ(9~17節)、「真理の聖霊が来られれば、彼がわたし(イエス様)をあかしされるだろう。あなたがた(弟子たち)も初めから私と共にいたので、わたしをあかしする。」と言われた(26~27節)。


ヨハ16章

 イエスが語れるのに、保恵師が来られれば、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせ、「罪について」とは、イエス様、すなわち、イエス様のあかしを信じない事であり、「義について」とは、主をもはや見なくなることであり、「さばきについて」とは、世の王が審判されたことだと言われた。
 すなわち、「罪」は、新約のイエス様の御言葉を信じない事、すなわち、イエス様を信じない事であり、「義」は、聖霊で来られたイエス様の肉体をもはや見なくなる事であり(再臨の時、イエス様が霊で来られる事を信じる事が「義」になる)、「さばき」は、この世の王、すなわち、悪魔と悪魔の所属の牧者たちについての審判を言っている。


 イエス様の名で来られる保恵師は、イエス様のものを持って教えるのであり、イエス様のものは、父のものであり(13~15節)、その時は、秘辞(:比喩)で言わないで、はっきりと実像をあかしして下さると言われた(25節)。保恵師が来られる時には、初臨の時、全て語らなかったこと(12節参考)までも知らせて下さる時であり(Ⅰコリ13:12参考)、聖書を完成する時である。啓示録までという事である。神様の目的は、神様の新しい国、新しい民族を創造する事であり、神様の新しい国、新しい民族が、創造される時が、聖書の完成の時になる。

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