約束の牧者といのちの復活
(本文:ヨハ5:17~47)
1.ヨハ5:17~23:イエス様が神様から受けた権威
17~23節:イエス様は彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」*このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。*そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。・・・・・・*また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。*それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父を敬いません。
イエス様が安息日に病人を直した事でユダヤ人たちに激しく責められた(ヨハ5:1~16)。
この時、イエス様が「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」と言われた(17節)。この時、ユダヤ人たちがこの言葉を聞いて、イエスが安息日を破っておられただけでなく、神を自分の父と呼んでおられたので、ますますイエスを殺そうとするようになった(18節)。イエス様は、「子は父がしておられることを見てその通りに行います。」と言われた(19節)。また、イエス様は、「父はすべてのさばきを子にゆだねられました。それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父を敬いません。」と言われた(22~23節)。
今日、私たちが見る時、彼ら、すなわち、選民であり、正統だと自称しているユダヤ人たちは、聖書に無知であり、神様とイエス様を知る事ができず、その御言葉に対する悟りもない者たちであった。のみならず、今日、新天地を無視して迫害している者たちも、初臨当時のユダヤ人と同じで、彼らが聖書に無知な事が罪を犯す原因だと判断がつく。
2.ヨハ5:24~30:いのちの復活と審判の復活
24節:まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
死はどこ(何)を言っているのであり、いのちはどこを言っているのだろうか?死は「蛇であり、白く塗った墓」であるエルサレムの牧者パリサイ人たち(マタ23:2.27、33)を指して言われたのであり、いのちは「道であり、真理であり、いのち」であられるイエス様(ヨハ14:6)を指して言われたのであった。
25節:まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
「死人」は肉体ではなく、肉の中の霊が死んだ者たちの事であり、マタイの福音書8章22節でイエス様が「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」と言われたその「死人たち」のように、霊が死んだ者たちの事である。この死んだ霊がイエス様を通して神様のいのち(生気)の御言葉が入って再び生きる事を言っている。
26~27節:それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。*また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。
父の中にあるいのちを子の中にもあるようにされたという事は、神様のいのちの御言葉(ヨハ1:4)をイエス様に与えて、その中にあるようにされたという御言葉である。そして、神様がイエス様に与えた審判の権威は、すなわち、御言葉である(ヨハ12:48参考)。
28~30節:このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。*善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。*わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
墓の中にいる者は、白く塗った墓、すなわち、エルサレムの聖殿とパリサイ人の牧者たちに属している者たちであり、彼らがみんなイエス様の声を聞く時が来るのである。イエス様の御言葉を聞く者、すなわち、善を行う者は死んだ霊が再びよみがえる霊の復活(いのちの復活)であり、聞かない者、すなわち、悪を行う者はさばかれて(審判の復活)永遠の刑罰(永罰)を受けるようになる(29節)。死んだ霊を生かすいのちは、神様の御言葉であり、この御言葉は、当時のイエス様の中にあったのであった。
今日も啓示を受けた者の中にいのちの御言葉がある。
イエス様のさばきは、恣意的なことではなく、聞く通りに、父の御心通りに行うので、正しいまことのさばきだと言われた(30節)。
3. 35~47節:約束の牧者
35節:彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。
マラキ書3章1節には、道を整える使者と契約の牧者が預言されている。初臨の時の道を整える使者はバプテスマのヨハネであり、彼はしばらくの間燃えて輝くともしびであり、まことの光である契約(約束)の使者はイエス様であった。
再臨の時には、七つの金の燭台の幕屋の七つの星(使者)が道を整える使者であり(啓1:20)、啓示録2~3章に約束された勝利者が契約(約束)の使者である。
36~38節:しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。*わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。*また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。
初臨当時、バプテスマのヨハネは、イエス様が神様の御子である事をあかしして(ヨハ1:29~34)、真理であられるイエス様をあかしした。しかし、イエス様には、すぐれた証言があるので、神様が御子であるイエス様に成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわち、イエス様が行われたわざがその証言である。イエス様は、神様がその中におられ、神様の働きをされた(ヨハ10:37~38)。ヨハネの福音書14章11節に、イエス様は「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」と言われた。
また、神様ご自身がイエス様をあかしされた。モーセ五書と詩篇は言うまでもなく、預言者たちが代筆した書に至るまで、神様は旧約聖書全般にわたってイエス様に関して語られて(ルカ24:27参考)、イエス様は聖書(旧約)がイエス様についてあかししていると言われた。
しかし、神様の御言葉が当時のユダヤ人たちの心の中にとどまっていなかったので、彼らは神様が遣わされたイエス様を信じなかった。
このような事実は、今日も初臨当時と同じである。教徒たちは神様の約束は信じずに、口先でだけ主に近づいている。
イエス様は、「神様がイエス様の名で真理の御霊である保恵師を遣わし、彼があなたがたを真理に導き入れる。」と言われた(ヨハ14:16、26、15:26、16:12~13)。啓示録22章16節に見ると、イエス様がその使者を遣わして新約の核心である啓示録全章の事件をあかしさせたと言われた。
イエス様の使者は、代言の霊である真理の御霊保恵師と、また彼が共にいる肉の保恵師である(啓19:10参考)。啓示録成就の時、肉の保恵師は啓示録2~3章に約束された勝利者(約束の牧者)である新しいヨハネである。しかし、彼が伝える啓示の御言葉が(啓10章参考)人々の心にないので、約束の牧者を信じずに、むしろ迫害をしている。
39~47節:あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。*それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。*わたしは人からの栄誉は受けません。*ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。*わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。*互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。*わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。*もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。*しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。
聖書は永遠のいのちを持って来たイエス様をあかしし、イエス様は神様の御名によって来られたが、彼ら(ユダヤ人たち)が信じなかった(39~42節)。イエス様は、もし他の人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れると言われた。
今も教徒たちは主が遣わされた使者は信じなくても、自分たちの教団で立てた牧者が行けば受け入れている。今日、モーセの書(聖書)だけではなく、イエス様が預言された新約の書も信じない者たちが、今日の勝利者、約束の牧者を信じるだろうか?
約束の牧者を通してイエス様の啓示の御言葉を受ける者には天国と永遠のいのちがあり、信じない者は地獄の審判を免れない。悟って信じて救いに至るように切に祈っている。
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