身重の女と乳飲み子を持つ女
(本文:マタ24:19)
「その日、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある」と言われた。なぜ、災いがあるのか?これについて一般の牧者は、終わりの時には戦争があるので、避難旅行中に身重になったり、乳を飲ませる子どもがいたりなど、行動が不便な事は災いになると説明する者が多い。では、信じる女たちの中で処女だけが救われるのだろうか?では、結婚してはいけないのだろうか?また、啓示録14章には、救われる者たちが、「女によって汚されない者」と言ったので、信じる未婚の男だけが救われるという事なのか?
聖書に記録されたように、指導者(牧者)たちが、民(羊の群れ)を横道につれて行く者が、同じ横道に行くようになると言い(エレ50:6参考)、盲人が盲人を導けば、二人とも穴に落ちると(マタ15:14)言われた御言葉のように、知識のない牧者に従えば、ほかの道に行くようになり(非真理、毒麦)、滅亡されるようになる。それゆえ、神様の御心と聖書の御言葉を誤解する事は、地獄行きになる。
使徒パウロは、ガラテヤ書4:19に「産みの苦しみ」をすると言い、テモテを「息子」と言い(Ⅰテモ1:2、18、Ⅱテモ1:2)、Ⅰコリ3:2には、聖徒たちに「乳を飲ませた」と言った。パウロは、結婚もしなかった独身であり、女ではない。このパウロが産みの苦しみをして息子を生んで、乳を飲ませたと言ったので、生んだ息子は、どんな息子だろうか?
世には、多くの樹木の種があり、動物の種もある。これは、肉の種を言ったのである。パウロが言ったのは、神様の種、すなわち、御言葉の種で霊的息子を生んだ事を言ったのである。霊的な種については、ルカ8:11に「種は神の言葉」と言い、パウロは、神様の御言葉の種を受けて、霊的息子を生んだ事になる。神様の種で生んだ者が、神様の息子であり、神様に父と呼ぶことができ、相続する子になる(ロマ8:13~15、ガラ4:6~7参考)。
今日、地上の聖徒たちは、新約の啓示(啓示の御言葉)で再び生まれてのみ、天国に入ることができる。この啓示を拒絶すれば、暗やみから出て来られないのである。
本文で言う「身重の女」は、エルサレムで神様の御言葉の種を持った牧者を言われたのであり、「乳飲み子を持つ女」は、神様の霊の種で生んだ者たちに神霊な乳(Ⅰペテ2:2~5)、すなわち、御言葉を食べさせる牧者を指して言われた御言葉である。
身重の女と乳飲み子を持つ女が災いに会うという理由は何だろうか?選民のエルサレムの国と異邦の国が戦って(霊的戦争)、異邦の敵が勝利して、聖なる所(聖殿)に立つようになるので、エルサレムの牧者たちが権力行使も、主管も、御言葉のあかしもできず、捕虜になった。これが災いに会うという事である。エルサレムの牧者と聖徒たち(太陽・月・星)は、滅亡されて、神様の所属から異邦の所属になって、エルサレムを滅亡させた異邦の牧者が壇上に立つようになるので、選民が、太陽・月・星のように天の所属であったが、地(肉)に落ちたので、災いになったのである。
これが、本文で知らせようとされた神様の御言葉である。このまことの意味を知らず、戦争を世の戦争に、そして、「身重の女と乳飲み子を持つ女 」を肉体の身重の女、乳飲み子を持つ女に教える事は、悪魔の毒麦の種を聖徒たちの心の畑に蒔いて、悪魔の子どもに作る事である。それゆえ、非真理を蒔く牧者の受ける刑罰が、さらに大きいのである。聖徒は、牧者をきちんと選択するべきであり、かえって、義のために迫害される牧者に行くほうがいいと思う。終末には、自分の牧者が自分を地獄に導く事があるという事をわからなければならない。
聖書通り成し遂げられた所を確認せよ。我が新天地は、天の啓示で聖書に精通していて、御心が天になるごとく、この地に成し遂げて、実像をあかししている。そして、新天地は、多くの聖徒が真理を悟って、救いに至る事を祈っている。
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