緊張感が漂った講演会場、偏見を超えて本質を向き合う!
サポーターズとして新天地御言葉大聖会現場を記録するために入った講演会場。実は最初は自分でも分からない緊張感が感じられました。多くの人々の視線が集まるここでどんな話が交わされるのか、あるいは一方的な主張ばかりではないかという懸念がなかったわけではありませんでした。
しかし、イマンヒ総会長が壇上に上がり講演が始まると、私が抱いていた予想は少しずつ外れ始めました。今回の永登浦教会の現場はこれまで以上に熱い熱気で満ちていました。
![]() |
| 新天地御言葉大聖会の熱気はすごかった |
真理の基準:「知っていることに欠点があってはならない」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
講演は華やかな美辞麗句よりも淡白で明確でした。ヨハネの啓示録の預言とその実状を聖書の一節一節と照らし合わせて証明する方法は、いわゆる「感情訴え」ではなく「事実中心」の接近でした。それは聖書を深く勉強したことがある方なら誰でも頷かざるを得ない、論理的な時間でした。
講演は華やかな美辞麗句よりも淡白で明確でした。ヨハネの啓示録の預言とその実状を聖書の一節一節と照らし合わせて証明する方法は、いわゆる「感情訴え」ではなく「事実中心」の接近でした。それは聖書を深く勉強したことがある方なら誰でも頷かざるを得ない、論理的な時間でした。
特に「神様を信じる信仰人として知っていることに欠点があってはならない」というところでは心が粛然となりました。自分が立っている場所が真理か非真理かを自ら振り戻し、もし間違っていたら喜んで再び生まれるべきだと言うそのメッセージは、サポーターズである私にも重く響きました。
![]() |
| 新天地イマンヒ総会長が講義する姿 |
衝撃的な提案:「当たれば当たる、外れれば外れただとしよう。」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最も印象に残った瞬間は、イマンヒ総会長が牧会者たちにした提案でした。
「私が願うことは牧師たちと聖書で話し合うこと」
それは思ったよりもっと胆大で本質的でした。
教団の間に見えない壁を築くのではなく、ただ「神様の御言葉」という絶対的な基準の上で一つになろうとるす愛の勧告でした。「再び生まれる心情で新たにしよう」という訴えに、至るところで頷きながら筆記に集中する牧会者たちの後ろ姿見て、私が抱いていた古い先入観が少しずつ崩れていくのを感じました。
![]() |
| 新天地御言葉大聖会の牧会者席 |
信仰の本質:「真理で一つになる道を目撃しながら」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
サポーターズとしてこの瞬間を記録しながら私が出した結論は一つでした。真の権威は伝統や階級ではなく、ただ「真理の御言葉」から出てくるという事実です。
90歳を超える高齢にも熱情的で御言葉を伝える姿は、現場に集まった430人の牧会者たちにも、そして私自身にも深い鑑になりました。お互いの壁を取り除き、ただ聖書だけで話し合って一つになるこの流れ。もしかすると、これこそ今日の私たちに最も必要な和合の姿ではないんでしょうか。


