2016年2月18日木曜日

新天地、二種類の霊の種

二種類の霊の種
(本文:マタ13:24~30)


 聖書で比喩した種は、二種類がある。この二種類の種は、どんな種であり、誰と誰の種なのか?二種類の種は、霊の種であり、神様の種と悪魔の種である。

 イエス様の初臨の時に蒔いた二種類の種は、約2,600年前、神様がエレミヤに約束されたもので、その時から600年を経てイエス様に来られて成し遂げられたのであった(エレ31:27、マタ13:24~28)。人の子イエス様が蒔いた種は神様の種であり、パリサイ人が蒔いた種は悪魔の種であった(マタ13:37~3929~33、マタ23章参考)。イエス様が蒔いた神様の種は、天国の子どもたちであり、パリサイ人が蒔いた悪魔の種は、地獄の子どもたちである(マタ13:38)。
 この二種類の種は、イエス様の畑、すなわち、イエス教(Ⅰコリ3:9参考)で主の再臨の収穫の時まで共に育っていたが(マタ13:29~30参考)、収穫の時は、二種類の種が分けられる。良い種でできた者は収穫されて行って、悪魔の毒麦でできた者は、その畑に残るようになる。

 前で言ったように、神様がエレミヤに約束されて、その後、イエス様に来られて、その約束を成し遂げられた事が、すなわち、種を蒔いた事であった。この蒔いた種は、肉体の種ではなく、霊の種であった。イエス様以前の種は肉体の種であり、イエス様以後の種は肉体の種ではなく、神様の霊の種であった(ヨハ1:12~13参考)。肉で生まれたものは肉であり、聖霊で生まれたものは霊である(ヨハ3:5~6)。
 神様が肉的選民を審判されて、イエス様を通して霊的世界を創造されるようになった理由は何だろうか?それは、神様が罪を犯したアダムの遺伝子で生まれた者たちによって選民としたが、彼らは、結局、アダムのように背教したからである(ホセ6:7)。このゆえに神様が神様の種で生まれた者たちで神様の国と民とするためにエレミヤに約束されて、イエス様に来られて神様の神(霊)の種を蒔くようにされたのである。まずは、神様の種でイエス様を生まれさせられて(マタ1:18)、また、イエス様を通して神様の種を神様の畑に蒔くようにされ(マタ13:2437)、時になると、イエス様が再臨されて収穫すると約束された(マタ13:3024:31、啓14:14~16参考)。

 罪を犯したアダムの遺伝子で生まれた者たちは、みんな背教したが、神様の種で生まれたイエス様とその弟子たちは、背教せず、忠孝を尽くして、殉教するとしても、神様を背反・背教しなかった。これが人の種で生まれた者と神様の種で生まれた者の差である。種は、神様の御言葉であり(ルカ8:11)、御言葉は神(霊)の種であり、神の御言葉を受けた者を神と言ったので(ヨハ10:35)、神の種で生まれた者が神の子孫になったのである(使17:29)。神様の神、すなわち、霊が私たちの中におられるならば、私たちが肉体にあるのではなく、霊にあると言われ、私たちの死ぬ体も生かすと言われた(ロマ8:9~11)。

 イエス様以前には、アブラハムの肉体の血統によって選民と異邦が区分されて、イエス様以後には、肉体ではなく、神様の霊によって選民と異邦が区分された。神様の種で生まれた人は選民であり、悪魔の種で生まれた人は異邦なのである。神様の種で生まれた者は、神様と同じ霊であり、神様の家族で、悪魔の種で生まれた者は悪魔と同じ霊であり、悪魔の家族である。神様の種は真理であり、悪魔の種は非真理である。神様の種はいのちと光であり(ヨハ1:1~4参考)、悪魔の種は死と暗やみである。これが二種類の種で生まれた人の差である。このうち、誰が主の再臨の時、救われるだろうか?聖書に無識(無知)な事が暗やみであり、夜である(ホセ4:6、Ⅰテサ5:4~8参考)。
 神様の種と悪魔の種、この二種類の種は、イエス様の初臨以後、約2千年の間、一つの畑で育って来て、イエス様の再臨の時である収穫の時、穀物だけ収穫されて、神様の御座がある霊的シオン山に行くようになる(啓14:1~514~16)。イエス様の約束を信じる聖徒は、その畑(イエス教)から倉であるシオン山に収穫されて来るだろう。毒麦(悪魔の種で生まれた者)は、その畑に残るようになる(マタ13:30)。

 神様は来られて、イエス様と一つになられた(ヨハ3:16~17、ヨハ10:30)。初臨のイエス様はまことのぶどうの木であられ、弟子たちは枝で、枝がぶどうの木についている事によって実(まことのぶどう)がたくさん結ばれた(ヨハ15:1~5)。収穫の時は、このまことのぶどうたち(神様の種で生まれた聖徒たち)を収穫するのであり、その畑に残ったものは、悪魔の種で生まれた野ぶどうたちである。この野ぶどうは、蛇の毒であり、まむしの悪じであった(申32:32~33)。

 初臨の時の神様のぶどうの木は、まことのぶどうの木であるイエス様とその弟子たちであり、悪魔の野ぶどうの木は、パリサイ人の牧者とその教徒たちである。彼らが一つの畑(イエス教)にいて、主の再臨の収穫の時、分けられる。ぶどう酒は、ぶどうの木の実であるぶどうからできたものである。初臨の時、イエス様の啓示の御言葉がまことのぶどう酒であり、新しいぶどう酒であったように、再臨の時、イエス様の新しい啓示の御言葉もまことのぶどう酒であり、新しいぶどう酒である。また、初臨の時、悪魔の牧者、パリサイ人の律法が野ぶどう酒であったように、再臨の時の啓示録17章、18章のバビロンの牧者、淫婦とその群れである七つの頭と十本の角を持った獣の非真理(注釈)も野ぶどう酒、すなわち、蛇の毒である不品行のぶどう酒である。

現在の聖徒たちに「この二種類のぶどう酒のうち、どちらを飲んでいるのか?」と聞くならば、彼らは、「イエス様の新しいぶどう酒」と答えるだろう。しかし、これは自分と自分の牧者とまたその牧者と一つになった神をわからないからである。聖徒たちが、なぜ、わからないのか?それは、秘密だからである。では、これをわかる者(牧者)は、どのようにわかるのか?それは、啓示録1718章の事件の現場で、その秘密を見て聞いたからである。

 イエス様のぶどうと新しいぶどう酒があり、悪魔のぶどうと不品行のぶどう酒がある。イエス様のぶどうと新しいぶどう酒を食べる者は生きて、悪魔(バビロン)のぶどうと不品行のぶどう酒を食べれば死ぬ。まことのぶどうの木であるイエス様は、いのちの木であり(ヨハ15:15、ヨハ6:47~5114:6参考)、不品行の野ぶどうの木であるバビロンの淫婦は、善悪の木である。聖徒は、教会の終末であるこの時(マタ13:39、マタ24:29~31、啓6:12~17参考)、神様の秘密である啓示録の事件を現場で見て聞いて指示を受けた約束の牧者を通して、二種類の種とぶどうとぶどう酒を悟って救われなければならない。そうして、穀物として収穫されて、イエス様のまことのぶどうの木(いのちの木)の実の新しいぶどう酒を食べて、永遠の命の国に入って、天国の民になる事に力を尽くさなければならない。

 今、善悪の木の実であるバビロン(ダニ4:20~21)の不品行のぶどう酒を食べている人の数は、地球村にどれくらいいるのか?
 四福音書(マタ24章)では、神様の聖殿が侵入されて、そこに滅亡者が立つようになり、天に属した選民、太陽・月・星が落ちる全滅を話していて、啓示録には、不品行のぶどう酒で万国が倒れたと言ったので(啓1718章)、万国が不品行のぶどう酒を食べたのであり、これは霊的イスラエルの終末を指しているのである。この時、残った少しの種に(イザ1:9、啓3:46:612:11参考)印を押して養育する事によって、神様の新しい国十二支派(霊的新しいイスラエル)が創造される。



 信じる聖徒は、聖書に従って新天地イエス教に来る事で新しく生まれるようになる。新しく創造されて、天民になる。このために切に祈っている。アーメン!

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