新しい天と新しい地(新天地)
(本文:啓21章)
新しい天と新しい地とは、何を言ったのだろうか?「新しい天」は、新しい幕屋(聖殿)を言ったのであり、「新しい地」は、新しい幕屋の肉体(聖徒)たちを言ったのである。
啓示録21:1に、「新しい天と新しい地を見ると、以前の天と以前の地がなくなった。」と言う。文字通りならば、青空の天空と地球がなくならなければならないし、新しく天空と地球がなければならない。
啓示録13章で見たように、神様の天の幕屋とそこの肉体たちが侵害されてなくなったので、これは、すなわち、神様がいなくなった事を言っている。神様から消えた事を言っている。啓示録6章に、天が巻き物を巻かれるように消えてなくなり、地(山と島)がその場所から移され、太陽・月・星が暗くなって落ちたので、天と地がなくなったのである。これが本文で言ったように、以前の天と以前の地がなくなった事である。
創世記1章でも、新しい天と新しい地を創造する時、以前の天と以前の地があって(創1:1~2)、啓示録でも先天がなくなって、後天の世界があるようになる事を知らせて下さった(啓6,7章、13,14章)。
モーセが幕屋とその中の器具も天(霊界)のものを見て、その通りにこの地に造ったので(出25:9,40)、モーセの幕屋がこの地の天であった。そして、イエス様も天のものを見てそのようにこの地に創造したので(ヨハ5;19~20)、霊的イスラエルの幕屋は、この地の天の幕屋である。それで、啓示録13章の幕屋を「天」と言った(啓13:6)。幕屋(教会:聖殿)を。なぜ、天と言うのか?選民を太陽・月・星と言ったので(創37:9~11参考)、太陽・月・星がある所(幕屋)が天になるのである。
初臨のイエス様が「預言者も預言も律法もバプテスマのヨハネまでである。」と言われた(マタ11:13、ルカ16:16)ように、再臨の時の霊的イスラエルの幕屋(教会)と牧者と預言も啓示録13章の道を備える幕屋の七人の使者の時までである。初臨の時の肉的イスラエルが先天時代であり、イエス様によって始まった霊的イスラエルが後天時代であったように、再臨の時は、イエス様の初臨の時から啓示録の道を備える七人の使者の時(霊的イスラエル)までが先天時代になって、啓示録成就の時の再び創造された十二支派(霊的新しいイスラエル)が後天時代になる。
啓示録6章とマタイの福音書24章で、天の太陽・月・星が啓示録8章のように侵害されて暗くなって落ちたと言ったので、これは、すなわち、選民の滅亡を意味する。先天の霊的イスラエル(イエス教会、キリスト教の世界)が腐敗して、サタンが啓示録13章のように、選民を滅亡させたのであった。滅亡された選民は、異邦のサタンの群れ(バビロン、啓17章)に捕らわれて、捕虜になったのである。
ノアの時、ロトの時とイエス様の初臨の時のように、今日の霊的イスラエルが腐敗したとしても、自分たちは神様の中にいると思って、また、正統であると思っているが、太陽・月・星月に落ちたように、その所属は、天ではなく、地なのである。このように、霊的イスラエルは、マルコの屋根裏部屋で聖霊によって始まって(使2章)、2千年が経た今日、肉(地)に戻って、サタンの世界になったのである。しかし、これを知る者がなかった[世人何知]。
この時、神様は、モーセの時とイエス様初臨の時のように、今日の腐敗した霊的イスラエルを終わらせて、約束の牧者を通して新しい天の国、新しい民族を創設された。すなわち、啓示録12章の太陽を着た女が産んだ子とその兄弟たちがサタンの牧者と戦って勝利する事によって霊的新しいイスラエルの国が創造されたので、これが「新しい天、新しい地」、すなわち、新天地である(啓21:1)。時は今、新天地時代であり、この時から新天紀時代が始まったのである。
今、世の宗教を診断してみよう。新約の預言について知っている事もなく、神様の約束を守る事もなく、お金と権威のために先を争って、互いに噛みつき、つかみあって、争っているのではないか?信仰よりお金であり、信仰より権威、すなわち、教権ではないのか?ここに神様とイエス様が共におられるだろうか?
このような時、神様がイエス様の流された血で人々を贖って、また、その血で洗って、新しい神様の国と天民を創造されるので(啓5:9~10、7:9~14)、これは、約束された預言(啓示録)通り成し遂げられたのである。
新天地時代が開かれる前に、十二支派が創造される前に、救われる所はなかった。天国の民である新天地人になろうとすれば、啓示録に記録された全ての御言葉を加減なく守らなければならない(啓22:18~19参考)。新天地、すなわち、神様の新しい国であり、神様が永遠に共におられる天国であり、新天地人は、神様の家族である。ここの聖徒たちが信仰の望みを成し遂げた者たちである。
これを信じない者は、神様を信じない者であり、信じる者は、神様とその御言葉、すなわち、約束を信じる者であり、救いと永遠の命を得る者である。アーメン!
0 件のコメント:
コメントを投稿