2015年8月27日木曜日

新天地、イエス様の新しい契約の血と成就

イエス様の新しい契約の血と成就
(本文:マタ26章(ルカ22章、啓5:9~10、ヨハ6:51~57))


新天地イエス教(啓21:1参考)は、新約の約束通り創造された神様の国と祭司長と選民である(啓1:5~6)。これを妨害する者は、呪われる。イエス様は、再臨の時を指して、ノアの時とロトの時のようだと言われた(ルカ17:26~30)。
ノアの時とロトの時に、どんな事件があったのか、その時の事件を聖書で見た者は、イエス様の再臨の時にあるようになるという事をわかるだろう。
新しい契約
神様が約2,600年前、エレミヤに「その日になれば、新しい契約を立てるだろうと約束された」預言(エレ31:31)は、その時から約6百年が過ぎて、神様がイエス様に来られて成し遂げられた(ルカ22章、マタ26章)。成し遂げられる事を前もって語られた事が新しい契約、すなわち、新約である。旧約の預言者を通して約束された事(旧約)をイエス様が成し遂げられたように、イエス様を通して約束された新しい契約(新約)も成し遂げられる時がある。
初臨当時、イエス様は、天から下って来た生けるパンであり、この生けるパン、すなわち、イエス様の肉と血を食べる者は、永遠のいのちがあると言われた(ヨハ6章)。イエス様は、初めの御言葉であられ(Ⅰヨハ1:1~2)、イエス様の御言葉を聞いて食べる者がイエス様の肉と血を食べる者であり、天から来た生けるパンを食べる者であった。イエス様は、過越しの祭りの夜、神様がエレミヤを通して約束された新しい契約を血で立てられた(マタ26章)。この新しい契約は、神様の法であり(ヘブ8章)、この法は、すなわち、新しい契約の御言葉であった。人々がこの法、すなわち、御言葉を心に記録する事によって罪を赦されるようになり、再びあなたがたの罪を思い出さないと言われた(ヘブ8:10~12)。新しい契約の法の御言葉を心に記録する事が、すなわち、イエス様の血と肉を食べる事である。
イエス様が罪人に代わって十字架で流されたものは、血と水であった(ルカ22:39~44、コロ1:20~22参考)。この血は、人類の罪の代価であり、神様の国と祭司長たちと白い群れ(民)たちをご自分の血を渡して贖われ事になる(啓1:5~65:9~107:9~14)。これが新しい契約の血であり、罪人を生かすため流された血である。イエス様は、このように新しい契約を立てられて亡くなられた。亡くなられる前の夜(過越しの祭り)に弟子たちに言われた御言葉はこれである。「わたし(イエス様)が流した血と肉は、父の国が臨む時、食べるようになり、その時が来るまでは、わたしの血と肉に代えて、ぶどう酒とパンで記念しなさい」と言われたのであった。2千年が過ぎた今日、啓5:9~10と啓7:9~14で見たように、新しく成し遂げられた神様の国でイエス様の血と肉を食べるようになるので、この事実があかしされた。新しい契約、すなわち、イエス様の流した血を食べるようになる「時と人」は、今日の啓示録成就の時の神様の国と祭司長たちと白い群れ(民)と言えるだろう。
旧約の預言が初臨のイエス様の時に該当して、その通り成し遂げられたように、新約(新しい契約)の預言は、主の再臨の時に成し遂げられるので、これをわからなければならないだろう。これを悟った者は、再臨の主を待ち望むのである。新しい契約(新約)の成就と、それに対する信仰は、イエス様の再臨の時の聖徒たちとの約束である。新しい契約は約束であり、約束は、その契約通り実像で成し遂げられる。信仰は、その時になって新しい契約の御言葉(預言)と契約の御言葉通り成し遂げられた実像を見て信じる事である。預言と実像を信じる事によって、契約が成立する。もし、主が約束された新しい契約の御言葉が心に記録されていなければ、主が契約通り成し遂げられたとしても、どうして悟って、知って、信じる事ができるだろうか?約束は、預言を信じて、それが成し遂げられる時、見て、信じて、救われるようになるのである(ヨハ14:29)。
人の罪によって命の神様が離れて行かれるようになり(創6:1~4)、サタンが人類を主管するようになり、死が王となった(マタ4:5~6、ロマ5:14)。人と神様の間には、罪の壁がある。この罪の壁を壊して、いのちの神様に再び仕えるようになる条件は、ただ、イエス様の血であった。使徒パウロは、ヘブ8910章にこれを説明したのである。イエス様の血と、またあかしの御言葉で勝利する事によって(啓12章)、サタン(竜)を追い出す事ができ、捕らえて閉じ込めるようになり、神様の国と祭司長たちと民たちを、元通りに回復する事ができる。
この血の新しい契約が成し遂げられた所が、新天地イエス教である。どれ一つでも聖書通り創造されなかったものがない。神様の約束通り成し遂げられた約束の国であり、祭司長たちであり、約束の新しい民族である。これを信じない者は、神様も、約束も、御言葉も信じない者である。イエス様が契約された霊的イスラエルの終末は、背教によって滅亡されてサタンの所属になると言い(啓13章、17章、18章)、審判は、イエス様が言われた御言葉ですると言われた(ヨハ12:48、啓20:11~12)。この時(教会の終末)、「正統だ、救われた。」という、その言葉は認められない。


我が新天地は、新約が成し遂げられた実像を六何原則に従って啓示の御言葉であかししていて、全世界のキリスト教徒たちがこれを信じて救われる事を心より祈っている。アーメン!

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