2015年8月27日木曜日

新天地、新約聖書で出会うべき約束の牧者

新約聖書で出会うべき約束の牧者
(本文:啓10章(啓23章、マタ24:45~47、ヨハ14:26))

旧約聖書で出会うべき約束の牧者は、イエス様であった。
イエス様によって人々が父なる神様に来る事ができ、まことの神様を知る事ができた。イエス様は、旧約の啓示を受けた者であり、その啓示によってまことの神様を知らせた(マタ11:27)。また、イエス様が道であったので、その道を通して神様に出会う事ができた(ヨハ14:6)。イエス様は、罪人たちの罪を赦されて、神様に来させて下さる道とかぎの役割をされた。
当時の肉的イスラエルは、神様とモーセと律法は信じたが、旧約の預言者たちが預言した約束の御言葉は、おざなりに思っていた。旧約の預言者たちの預言書の中には、来られる神様と道を備える者と約束の牧者が記録されていて、この時のイスラエルの信仰の姿が記録されていた。もし、彼らが旧約の預言者たちを通して約束された預言を悟って信じたならば、神様と共に来られたイエス様を十字架にかけはしなかっただろう。世界の民族の中で神様を信じる選民だと自負した彼らが、本当に神様に属していたならば、祭司長(牧者)たちと長老たちとその民たちがイエス様を迫害して十字架にかけただろうか?彼らが歴史的には選民であったが、聖書に記録されたように、彼らの中には悪魔が場所を取っていた(ヨハ8:41~44参考)。肉的イスラエルに来られた神様とイエス様と天国と御使いたちは、彼らが迎えなかったので離れて行かれた(マタ21:37~43)。

新約(新しい契約)聖書で出会うべき約束の牧者
新約聖書の約束の牧者は、霊ではイエス様の名で来られる真理の聖霊であり(ヨハ14:26)、肉では啓23章に約束したイギンジャである(啓12章参考)。
主が再び来られる時のキリスト教の世界は、ノアの時、ロトの時、イエス様の初臨の時と同じだと言われた(ルカ17:26~30参考)。初臨の時、肉的イスラエルが、神様が共におられたイエス様にしたように、今日も、主に仕えた二人の証人を殺す事があった(啓11章)。
約束の牧者イギンジャは、啓23章に約束した永遠のいのちの食物「マナ」と審判の権威「白い石」と万国を治める「鉄の杖」を受けるようになる。また、天から下って来る霊界の神様の国(天国)、すなわち、聖なる都、新しいエルサレムと神様の名とイエス様の新しい名が彼の上に記録されて、イエス様の御座に共に着いて、彼が受けた啓示の御言葉を初臨のイエス様(マタ11:27)のように、反逆した今日の霊的イスラエルに伝える(啓10章)。これは、啓23章に記録されたように、初臨のイエス様が父なる神様から受けたものを約束の牧者イギンジャに与えたのである。
この時に、今日の牧者たちと長老たちとその教徒たちが、また、イエス様の初臨の時のように、迫害して殺す行為があるようになると言われた(ヨハ16:2)。彼らは、名義上では、イエス様を信じる霊的イスラエルだが、その中には、神様の霊ではなく、他の霊が席に着いているからである。初臨の時の肉的イスラエルがモーセの律法と預言は信じるが、イエス様と、またイエス様が旧約の預言を成し遂げられた事を信じなかったように、今日の牧者たちと長老たちとその教徒たちが神様とイエス様と旧約を成し遂げた事を信じるが、新約に神様とイエス様が約束された預言については、何の懸念もなく、また、悟って信じないので、暗い夜のような存在になったのである(マタ24:29、啓6:12~14)。この夜にイエス様と主の名で来られる使者(イギンジャ)が来るようになる。

主の再臨の時、出会うべき(マタ7:7~8)約束の牧者
主の再臨の時の約束の牧者は、啓23章に約束された全てのものを受けるので、道と真理といのちになる(ヨハ14:6参考)。誰でも約束の牧者を通さないでは、主に来る者がない。啓23章に約束した全てのものがイギンジャにあるので、信仰人たちがここ以外にどこに行って救われるだろうか?これは、三尺童子も知っているだろう。父の名で来られたイエス様に父なる神様が共におられたように(ヨハ5:43、ヨハ14:9~11)、今日も、イエス様の名で来る真理の聖霊が共におられる約束の牧者の中に主が共におられる(ヨハ14:16~26参考)。
初臨当時、神様が旧約の封じられた本を開いて、イエス様に与えられて、その当時の事件を見せて下さって、受けた啓示を伝えさせられた(エゼ1~3章、マタ11:27)。主の再臨の時である今日も、啓示された本と啓示録全章の実像を約束の牧者イギンジャに全て見せて下さって、神様の御言葉と全章で見た事をしもべたち、すなわち、12支派にあかしさせられたので(啓1:222:16)、御言葉とあかしに対して加減なく信じて守る者が(啓22:18~19)神様の国と祭司長になる祝福を受けるようになる(啓1:35~622:18~19)。これを受けも信じもせず、迫害する者は、神様の所属ではない。これによって審判があるようになり、審判の時は、自分の行いに従って聖書の本に記録された通り審判を受けて、天国、または、地獄の火の池に行くようになる(啓20章)。しかし、印を押された霊的新しいイスラエル十二支派144,000人の祭司長たちと白い群れ(民たち)は、楽園である天国で神様とイエス様と共に住むようになる。

我が新天地は、万国の蘇醒のために祈っている。アーメン!

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