2014年10月13日月曜日

新天地、人の戒めと啓示の違い

人の戒めと啓示の違い

1.旧約における人の戒めと啓示のと違い

● 本文:イザ29:9~14、ハバ2:2~3、エゼ3:1~11 預言

本文(イザ29章)の神様の書物、黙示は、誰も知る者がなく、封じられた本であって、預言者と先見者たちは盲目で頭を覆われたので見ることができなかった。この状態で教えて学ぶのは、人の戒めばかりであった。神様は、「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。・・・」と言われた(イザ29:13~14)。

イザヤのこの預言は、イエス様の初臨の時に現実として現れた(マタ15章)。約束された「驚き怪しむべきこと」を再びこの民に行われるのは、定めの時に(ハバ2:2~3)黙示を開いて人の子イエス様に食べさせ、指示なさることによって(エゼ3:1~11)、マタ15章のように啓示を伝えられたのである。この時、イエス様は、子と子の望み通り啓示を受ける者のほかは、だれも父を知る者がないと言われた(マタ11:27、韓・聖)。また、ヨハ17:3には、「まことの神様を知ることが永遠のいのち」であると言われた。これは、知らなければ、永遠のいのちもないという事になる。イエス様は、神様から受け取って食べた啓示で再び伝えるよう指示を受けたので(エゼ3:1~11)、イエス様の望みは、ご自分を通して啓示を受ける事であった。

イエス様が伝えられる啓示は、封じられた本の神様の約束(旧約)通りに成し遂げた実像であり、この実像は旧約の御言葉で証しして示すのである(ヨハ14:29 参考)。しかし、当時のユダヤ人たちは実像を見ることのできない盲目(マタ15:14)となった牧者に従うものの、イエス様が証しされる啓示された実像は信じない者たちが多かった。その時、彼らがイエス様に向かって異端と言ったのは、自分たちが主張している人の戒めと、イエス様の啓示が合わなかったからであった。

この文書で知らせようとするのは、旧約の預言と初臨当時のイエス様の啓示を話そうとするわけではなく、新約の啓示を知らせようと、冒頭に旧約の啓示について先に述べたのである。

2.新約における人の戒めと啓示との違い

● 本文:啓10章、啓1:1~8、啓22:18~19

約2,000年前、使徒ヨハネが見て記録した啓示録は、将来成し遂げることについての預言的な幻の啓示であって、この幻の啓示は、時になると、啓示録のように実像として成し遂げられるのである。成就する時は、新約に約束された新しいヨハネが啓10章のように啓示の本を受け取って食べ、啓示録全章の実像を全て見て、受け取って食べた御言葉と自分の見た事を、イエス様の指示通りにしもべたちに証しする。この時、新しいヨハネを通して啓示を受けた者以外は、神様も、イエス様も、また天国も、啓示録の実像も知る者がない。もし、啓示録について知っていると証ししている者がいるならば、彼は毒麦の種を蒔く者であり、不品行のぶどう酒を飲ませる者である。啓5章の封じられた本をイエス様が開いて成し遂げる前に知っているということ自体が罪であり、神様を嘘つきにしてしまう行為である。その理由は、この封じられた本は、天上天下に知る者がないと啓5:3にはっきりと記されているからである。

御言葉を信じずに自分を高くするために嘘を作り出す偽りの牧者の言葉を信じる者も災いを免れない。彼らが啓示録について証しした事は、淫婦を教皇、十本の角の獣をアジアの10カ国、竜をソ連、二万万(韓・聖)を中国、戦争を世の中の戦争と言うなど、偽りの種を蒔いたが、実はそうではない。啓6章は、2~3章の選民、背教者たちに対する審判であり、啓16章と啓18章は、13章の背教者と滅亡者たちに対する御怒りの審判である。啓13章と12章の戦争は、天の幕屋の聖徒たちと竜の牧者との戦争であり、世の国の戦争ではない。イエスの血とあかしする言葉で(啓12:11)戦う霊的戦争である。啓10章で新しいヨハネが受けた啓示は、天から来た神様の手紙であり、隠れたマナ、すなわち、永遠に生けるパンである。これにそっぽを向き、初臨のイエス様に向かって言ったように異端と言うならば、救いがあるだろうか?



誰でも今日、新約のイエス様の啓示を受けた新しいヨハネを通して啓示を受ける者だけが啓示録の預言のまことの意味を悟り、成就した霊的新しいイスラエル12支派の実像を知るようになり、救いに至るようになる。これが、神様が約束された新約であり、約束であり、救いの御心である。

新天地、現代宗教雑誌社に感謝する

現代宗教雑誌社に感謝する

感謝の理由:

先日、現代宗教雑誌社が新天地イエス教の代表に、迫害の文を流布したことに、新天地イエス教とその代表は、イエス様の御言葉であるマタイの福音書5章10~12節の御言葉通りに、天の大きな賞をいただけてありがたい。

 愛と赦しの戒めに背き、迫害し自ら地獄の刑罰を求めるのは、(我々に)天国と大きな賞をいただける事で、ありがたいことである。

 聖書にはこう記録されている。


 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから、あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。(マタ5:10~12)

新天地、イエス様の約束を信じて守った者の救い

イエス様の約束を信じて守った者の救い

 マタイの福音書24章では、世の終わり(末世)である主の再臨の時の前兆について言われ、国と国との戦争や戦いがある事と、滅亡者が聖なる所に立つ事について言われた。その時、逃げる山(救いの場所)がある。そこがどこなのか知っているだろうか?

 また、その時、太陽と月が暗くなり、星々は天から落ちて夜になる。この太陽・月・星と夜は何で、太陽と月と星々のない暗やみの世界ですべてのものが生きることが出来るだろうか?

 その時、時に応じて食事をきちんと与える者に主の全財産を任せると言われた(マタ24:45~47)。この食事と全財産とは何だろうか?

 マタイの福音書13章で語っている畑と二種類の種は何だろうか?畑はイエス様が種を蒔かれた所(マタ13:24、38)、すなわちイエス教会である。二種類の種は麦(穀物)と毒麦である(マタ13:24~30)。畑に蒔かれた種は御言葉(ルカ8:11)で、収穫の時は世の終わりで、刈る人は御使いたちで(マタ13:39)、収穫は御使いたちが鎌を持って種が蒔かれた教会(畑)に行って行う(啓14:14~16)。

 穀物の実は真理の御言葉を持っている者で、毒麦は偽りを真理だと信じている者で(マタ13:38参考)、御言葉を持っていない者は殻である(マタ3:12、ルカ3:17)。

 御使いは霊で、御使いが手にしている鎌は伝道者である。

 この収穫の時に収穫されて行く者と教会に残っている者の中で、誰が救われる者だろうか?この時の教会は、イエス様の初臨の時、イエス様を信じず、イエス様のところに行かなかったユダヤ教のようだと言えるだろう。収穫の後、その教会に救いがあるだろうか?

 今の教会はみな預言された約束の御言葉を証ししているだろうか?

 御言葉がないのは神様がおられない証拠で、光といのちがないという証拠である(ヨハ1:1~4、Ⅰヨハ1:1~3 参考)。人の戒めと偽りの証しは、神様のいのちの御言葉ではなく、悪魔の種を蒔く行為だと言えよう。


暗やみの子供にならず、光の子供になろう(テサ5:1~9 参考)。

新天地、新約の終末の事件「背教、滅亡、救い」

新約の終末の事件「背教、滅亡、救い」

 この手紙は、まことに神様とその約束された預言の御言葉を信じ、天国と永遠のいのちの望みを持っている聖徒の皆様にお伝えする内容です。そして、私の言葉ではなく、新約の約束の御言葉のみでお伝え致します。

 イエス様は再臨される時、はたして地上に信仰が見られるでしょうかと言われ(ルカ18:8)、万国が不品行の激しい怒りのぶどう酒によって倒れ、世の牧者と伝道者たちは悪霊の国であるバビロンの商品で富を得ており、教徒たちはバビロンの悪霊と結婚していると言われました(啓18章)。

 この時、盗人のように教会(イエス様が種を蒔かれた畑)に行って穀物を収穫し、残りは焼き尽くすと言われたので(マタ13:24~30)、これは世の終わりを言っているのではなく、教会の終末で、滅亡になるのです(マタ13:38~42)。しかし、各教団では、自分がどの神に所属しているのかさえ知らずに、「救われた、正統だ。」と言っています。この言葉がまことの言葉であるなら、イエス様の御言葉は嘘になってしまいます。

 昔も、自分自身のことを知らずにいた祭司長たちと長老たちが正統と自称しながら、預言者たちと使徒たちを異端と決め付けて殺したのです(マタ23:29~37、ヨハ16:1~3、使7:51~53 参考)。そして、主の再臨の時もこのようであると言われましたので(ルカ17:20~26、啓13章 参考)、約束の御言葉の中でこの事を悟らなければなりません。

新約に約束された背教者と滅亡者と救い主についてご存知でしょうか?

この三つの存在を知らなければ、約束の御言葉を悟らないことになり、救いに至ることは出来ません(Ⅱテサ2:1~4 参考)。今は、人の戒めだけで信仰をする時ではありません。天から来る啓示の御言葉で悟って分別する時です(マタ11:27、ガラ1:11~12、啓22:18~19 参考)。イエス様は啓示録22章16節に「信じている聖徒たちのために、わたしの使者を遣わし、啓示で啓示録の全章の事件を証しする。」と約束されました。


その時が今なのです。お祈りなさい。

新天地、聖書が語る私は誰なのか?

성경이 말하는 나는 누구인가?

세상에는 믿음을 가진 기독교인들이 많다. 대부분의 신앙인은 막연한 하나님과 예수님을 믿는 것만으로 구원 생각하고 하나님의 약속이 무엇인지, 또한 성경에서 자신이 누구인지 모른다. 하나님 께서 오늘 우리에게 약속하신 것은 무엇이고 성경에서 자신이 어떤 존재인지를 알아 보자.

1. 육적 이스라엘

 하나님은 창세기 15 장에서 아브라함과 언약을 창세기 17 장을 보면,이 계약은 그의 후손 도 대대로 믿고 지켜야한다 영원한 언약이었다. 계약의 내용은 아브라함의 자손이 다른 나라에 가서 400 년 고역의 생활을 계속하고 그 많은 재산을 가지고 출애굽을하고 가나안 땅을 정복하고 통치하면서 산다는 것이었다. (하나님이 결정 때)되고 하나님은 약속대로 모세를 통해 백성들을 애굽에서 구원 (출 12 장) 그 백성들과 언약을했다. 그것은 "만약 너희가 참으로 내 음성에 순종하며 내 언약을 지키면 모든 나라 가운데서 제사장의 나라, 거룩한 나라가된다." 라는 것이었다 (출 19 : 5 ~ 6 ).

 그들은 이집트에서 태어나 증가, 애굽 왕 바로 (악마)에서 노예 생활을하던 자들이었다 (출 1 장, 3 장, 5 장). 노예 생활을하고 있던 그들에게 하나님과의 언약을 지키면 하나님의 나라와 제사장으로, 거룩한 백성이된다는 것이었다. 그 계약은 무엇일까? 이집트에서 태어나 증가 노예 생활을하던 이스라엘 백성들이 거기에서 나와 가나안 땅을 정복하고 통치하면서 살게 될 것이라고 약속 하셨다 때문에 그들이 약속의 민족 있으며,이 약속을 믿을 수 의로움이 의롭게 됨으로써 그들이 하나님의 나라와 제사장이된다는 것이었다.

그러나 그들은 가나안 땅의 직전에 하나님과의 계약을 깨고 믿지 않고 하나님은 믿지 않는 그들을 광야에서 40 년간 좌절시키고 죽게 한 (민 14:32 ~ 35 , 히 3 장). 그 후, 여호수아가 그 자손과 함께 가나안 땅을 정복 (수 1 장) 세겜에서 그들과 약속을했다 (요 24 장). 그 약속의 내용은 하나님을 믿고 영원히 섬기는 것이었다. 그러므로 그들이 약속의 민족이며, 약속을 지킨다면 하나님의 나라와 제사장이된다는 것이었다.

 인간의 생각으로는 악마의 왕 (파라오)의 아래에서 노예 생활을하던 그들이 왜 하나님의 나라와 거룩한 나라가 될 것인지 말할지도 모르지만, 하나님은 하나님의 약속을 믿는 신앙을 의롭다 함 (롬 4 : 1 ~ 3 , 5 : 1 , 10:10 ) 믿는 그들을 하나님의 나라와 제사장으로된다는 것이었다.

2. 영적 새 이스라엘 국가

오늘날 기독교에서 성경이 말하는 자신이 누구인지를 아는 사람이 없다. 막연한 하나님과 예수님을 믿으면 구원 받고 천국에 간다는 믿음이있다. 신약은 신약에 기록 된 약속을 믿음으로 약속의 민족이며, 나라와 제사장이된다고 써있다 (계 1 : 5 ~ 6 , 5 : 9 ~ 10 ). 그 약속은 무엇일까?

 주님의 재림의 때가되면 예수님과 그 제자들이 2 천 년간 씨를 뿌린 밭에서 곡식을 수확 (마 13:30 , 38 ~ 39 ), 시온 산에 가게된다. 시온 산에 계시 된 말씀 (새 노래)에 의해 인 맞은하여야하며 (계 14 : 1 ~ 5 ), 인 맞은 자, 12 지파 14 만 4 천명이 (계 7 : 3 ~ 4 ) 예수님의 보혈로 구속받은 하나님의 나라와 제사장된다 (계 1 : 5 ~ 6 , 5 : 9 ~ 10 ). 이것이 신약의 약속의 나라에서 민족이다. 이것은 아브라함의 씨로 난 육적 이스라엘이 아니라 하나님의 씨로 난 하나님의 영적 새 이스라엘 12 지파의 가족이다. 신약에서는 이것을 믿음으로 하나님의 민족, 즉 하나님의 나라와 제사장이된다고 약속 된 것이다.

3. 성경이 말하는 내

 신약 성경에서 당신은 누구인지 묻자, "나는 시온 산에 추수되어 온 12 지파 인 맞은 한 하나님의 나라와 제사장입니다. "고 자신감을 가지고 대답해야 한다. 오늘 성경대로 신천지에서 이루어졌다 (계 21 장) 모든 것이 하나님이 신약에서 우리에게 약속 된 것이고 하나님 께서 오늘 우리에게 믿으라고 말한 것도 바로 이것이다. 우리는 이것을 믿어의에 이르고에 이르러 하나님의 나라와 제사장이되었다. "표를 눌렀을 12 지파가 하나님의 나라와 제사장이다. "고 말했다 신약의 약속의 말씀이 곧이 말씀대로 나타난 우리를 증거하고있다. 우리는 신약에 약속 된 말씀대로 이루어진 실체이다.


 우리는 하나님과 하나님의 약속대로 오늘 우리에게 이루어 낸이 모든 것을 확실하게 믿고있다.

新天地、世の終わりと主の降臨の前兆

세상의 종말과 주님의 강림의 전조

본문 : 마 24 ~ 25 장, 요 14:23 ~ 24 ( 요약 설 명 )
 
마 24 : 3  예수 께서 오리 자 아침 산에 앉아 계실 때에 제자들이 몰래 께 와서 말했다. 「이야기하십시오. 언제 그런 일이 일어나는 것입니다. 당신이 온 될 때와 세상 끝에는 무슨 징조가있는 것입니다. "
 
요 14:22 ~ 24  (22 절 ) ...... "주여 당신은 우리에게 자신을 나타내려고하면서 세상에는 나타내려고하시지 않는 것은 어떤 것입니까." (23 절 ) 예수 께서 대답 하셨다. "누구든지 나를 사랑하는 사람은 내 말을 보호합니다. 그러면 내 아버지 께서 그 사람을 사랑하고 우리는 그 사람에게 와서 그 사람과 함께 살고 있습니다. (24 절 ) 나를 사랑하지 않는 사람은 내 말을 지키며 없습니다. 너희가 듣고있는 말은 내 것이 아니라 나를 보내신 아버지의 말씀입니다. "
 
예수 님 이 제자 의 질문에 처음 응답 한 것은 '사람에 현혹되지 않도록 주의 를 클릭하십시오. "는 말이었다 ( 마 24 : 4) . 또한이 때를 가리켜 계시 록 3 장에는 전 세계에 와서 하려고하는 시련의 시간이다라고 써있다 ( 계 3:10) . 이 때 우리의 갈 길과 지배 우베 수 목사는 유일신 님 의 말씀이다. 하나님 님 은 말씀 이요 ( 요 1 : 1) 예수 님 도 말씀이며 ( Ⅰ 요 1 : 1) 성경도 하나님 님 의 말씀이다.
 
主の降臨の前兆について、国(霊的)と国(霊的)、民族(霊的)と民族(霊的)の戦争があり、人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合い、方々にききんと地震が起ると言われた(マタ24:7~10)。この時、不法がはびこるので、愛は冷たくなると言われた(マタ24:12)。そして2千年前、オリーブ山で弟子たちに語られたこの天国の福音がすべての民族に証しされるために、全世界に宣べ伝えられるが、そうしてこそ終りの時が来ると言われた(マタ24:14)。
 
前述した二つの国の戦争とは霊的な国の戦争で、神様の御国(教団)と異邦、悪魔の国(教団)との教理の戦争であり、侵入した不法者、悪魔の牧者が勝利することによって、彼(悪魔)が聖なる神様の聖殿に立つことになる(マタ24:15、Ⅱテサ2:1~4、啓13章 参考)。この時、救いの所である山(シオンの山、啓14章)へ逃げず(マタ24:16 参考)、自分の教会に残っている者たちは、侵入したサタンの教徒(信者)となる。そして、身重の女と乳飲み子を持つ女(マタ24:19)、すなわち神様の聖殿の牧者たちにわざわいがある。この時、イエス様は、選ばれた肉体たちのために苦難の日数が減らされると言われ(マタ24:21~22)、にせキリストたちやにせ預言者たちが、選ばれた者たちを惑わすことに注意しなさいと言われた(マタ24:23~26)。この時、苦難(戦争)によって霊的な太陽・月・星(選民の家族)が暗くなって落ち、夜になる(マタ24:29)。それから、イエス様は御使いと共にいなずまのように霊として来られ、働かれることを知らせた(マタ24:27、31)。また、この時に目をさましている者に盗人のように来られ、連れて行くと言われ(マタ24:42~44 参考)、この時の「時に応じた食物(霊的食物:マタ24章の御言葉)」を聖徒たちにきちんと与える者(啓10:8~11 参考)にその全財産を任せることを約束された(マタ24:45~47)。
 
また、この時に来られる花婿であるイエス様を迎える条件はともしびと油である。これを準備した者は天国の宴会に参加することになり、準備できなかった者は参加することができない(マタ25:1~13)。ともしびは神様の御言葉である聖書であり(詩119:105)、油は聖霊の証しである(出27:20、ゼカ4:11~14、啓11:3~4 参考)。小羊の結婚の宴会の家にはマタイの福音書22章の御言葉通りに善なる者や悪者がみんな集まったので(マタ22:1~14)、これはまるで羊と山羊のようである(マタ25:31~33 参考)。この時、ヨハネの福音書14章の約束通りに予備された私たちの住まい(ヨハ14:1~3)すなわち、天の御国を羊のような信仰人に相続する(マタ25:34)。天の御国を相続する羊のような信仰人たちはヨハネの福音書14章23~24節の約束通りに主の御言葉を守った者たちである。「救われた、聖霊を受けた、正統だ。」と言いながら、主の御言葉を守らない者には天国も永遠のいのちもなく、またそのような者は主を迎えることもできない。
 
前述どおり我が新天地は誰でも来ることができるのではなく、聖書によって認められた者だけに限られる。約8ヶ月間(基礎及び初等・中等・高等課程)の聖書の勉強が終わった後、核心聖句約300~400問題の試験に合格してこそ入教できる。我が新天地12支派は何一つ聖書通りにならないことはない。12支派の創造は聖書に約束された通りに成し遂げられたことであり(啓7章)、教名も聖書に約束されたものである(啓15章)。そして、神様とイエス様がいのちの御言葉(ヨハ1:1~5、Ⅰヨハ1:1~3)であるように、私たちも聖書に精通して“歩く聖書”になったので、すなわち啓示の通達者であり、啓示の信仰によって神様の子となったのである(ガラ3:23~26 参考)。


誰でも真理の都、真理の御国、天国と永遠のいのちを求める信仰人は、前述したようにまことの信仰をしなければならず、神様から認められなければならない。このために我が新天地の聖徒たちは休まず、祈っている。