イエス様の約束を信じて守った者の救い
マタイの福音書24章では、世の終わり(末世)である主の再臨の時の前兆について言われ、国と国との戦争や戦いがある事と、滅亡者が聖なる所に立つ事について言われた。その時、逃げる山(救いの場所)がある。そこがどこなのか知っているだろうか?
また、その時、太陽と月が暗くなり、星々は天から落ちて夜になる。この太陽・月・星と夜は何で、太陽と月と星々のない暗やみの世界ですべてのものが生きることが出来るだろうか?
その時、時に応じて食事をきちんと与える者に主の全財産を任せると言われた(マタ24:45~47)。この食事と全財産とは何だろうか?
マタイの福音書13章で語っている畑と二種類の種は何だろうか?畑はイエス様が種を蒔かれた所(マタ13:24、38)、すなわちイエス教会である。二種類の種は麦(穀物)と毒麦である(マタ13:24~30)。畑に蒔かれた種は御言葉(ルカ8:11)で、収穫の時は世の終わりで、刈る人は御使いたちで(マタ13:39)、収穫は御使いたちが鎌を持って種が蒔かれた教会(畑)に行って行う(啓14:14~16)。
穀物の実は真理の御言葉を持っている者で、毒麦は偽りを真理だと信じている者で(マタ13:38参考)、御言葉を持っていない者は殻である(マタ3:12、ルカ3:17)。
御使いは霊で、御使いが手にしている鎌は伝道者である。
この収穫の時に収穫されて行く者と教会に残っている者の中で、誰が救われる者だろうか?この時の教会は、イエス様の初臨の時、イエス様を信じず、イエス様のところに行かなかったユダヤ教のようだと言えるだろう。収穫の後、その教会に救いがあるだろうか?
今の教会はみな預言された約束の御言葉を証ししているだろうか?
御言葉がないのは神様がおられない証拠で、光といのちがないという証拠である(ヨハ1:1~4、Ⅰヨハ1:1~3
参考)。人の戒めと偽りの証しは、神様のいのちの御言葉ではなく、悪魔の種を蒔く行為だと言えよう。
暗やみの子供にならず、光の子供になろう(テサ5:1~9
参考)。
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