2014年8月17日日曜日

新天地、惑わしと勝利の信仰

惑わしと勝利の信仰

人は誰しも感覚があり、見たり聞いたり、思考と知覚を備えている。ところが、肉的な世界には本物と偽物があるように、霊的世界にも本物と偽物が存在する。惑わしや試み、偽りなどは肉的世界よりも霊的世界の方が甚だしい。まやかしやだましごとも霊的世界に多い。人を騙すことも騙されることも、自分がしっかりと立っていないことから生じる。

イエス様の弟子たちが世の終わりの前兆について尋ねた時、イエス様が答えられた最初の御言葉は、「人に惑わされないように気をつけなさい。」であって(マタ24:34)、その時(世の終わり)になると人々は惑わされ、つまずくと言われた(マタ24:510) 。イエス様が直接教えて下さった主の祈りにも「試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈りなさいと言われ(マタ6:13)、また、啓示録で見たように、この時は全世界に来ようとしている試練の時だと言われた(啓3:10)。

アダムとエバは、天地万物の相続者であったが、サタンに惑わされ、自分を造った創造主に背く背教の行いをした(創3章)。アダムとエバは、神様の御言葉を守らなかったので、蛇の惑しに打ち勝てず、多くのものを失った。ここでアダムとエバの過ちを判断する前に、「私たちはどうだろうか」と自分自身をかえりみなければならない。エバは、神様の御言葉を知っていながらも守れず、アダムは一つの体であるエバから惑わされ、何の心配や疑いもせず善悪の実を食べた(創3:6)。アダムがエバを信じ過ぎたせいだろうか?エバが蛇の言葉、すなわち、蛇の種を受け、同じ蛇となり、蛇の行いによって夫アダムにその木の実、すなわち、蛇の種(言葉)である毒を食べさせたのである(啓20:12、マタ23:33、申32:3133、ルカ8:11 参考)。

イエス様が来られたのは、地に火を投げ込むためであり、平和を与えるのではなく、むしろ分裂だと言われた(ルカ12:4950)。そして、火がつけば、この火、すなわち、御言葉によって家族同士が互いに争うので、例を挙げれば、一家5人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗し、父は息子、母は娘、姑は嫁と対抗して分かれると言われた(ルカ12:5253)。なぜ争うのか?火、すなわち、聖霊の神(霊)が幾人かに入ったので、違う神(霊)の入っている家族と争いが起こるようになる。どうして善と悪が一つの家に住む事ができるだろうか?夫婦、親子、兄弟、姑と嫁同士でも互いに憎んで死に行く所(サタンの集団) に連れて行き、神様から受けた恵をぶちまけて捨てさせる。エバがアダムにしたように、自分の所属の悪を信じさせ、善を信じさせないようにする。これは新約聖書でイエス様、すなわち、主が言われた御言葉である。

昔、アダムとエバを惑わして彼らの心霊を支配したその悪の神が入ったので、人々にまことの神様を悟れないようにして、その御言葉を聞けないようにして、また、御言葉のある所に行けないようにした。だから、争いが起こるのである。どんなに牧者たちと多くの教団が正統を主張したとしても、腐敗して、変質した以前のものは間違ったものであり、神様が新しく創造されたものがまことである。

悪魔は聖書の預言を伝える事よりも、その預言の成就された実像を伝える事をもっと恐れる。聖書6千年の働きを見ると、神様は以前ものが間違ったので、新しいものを創造され、預言を成就するために約束の牧者に来られて共に働かれるのである。今日、新約の預言が成就したという事は、主がこの世に来られたという証しである。家族の中で誰かがこのような証しをするので、神様に属していない者たちが反発し、敵対する。盗人猛々しいと言ったように、まことを述べた者(家族)を異端やサタンと言って呪う(ヨハ8章 参考)。そして、誤った信仰をしているといって、家族を自分の所属教会の牧者のもとに無理やり連れて行って教育を受けさせる。このような行為は、自分の家族(子どもや両親、兄弟など)を地獄に送る、大きな罪を犯す惑わしである。このゆえに、親子、夫婦、兄弟の間柄であっても、その行為とその所属によって地獄、または天国に別れる。これが宗教の現実である。聖書(エゼ18章)に言っているように、家族の中で父のみ罪を犯したなら父だけが地獄へ行き、子どものみ義を行えば子どもだけが天国へ行くと言った。すなわち、義人の義も自分に戻って来て、悪人の悪も自分に戻って来る。「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮くだろうか(エゼ18:2)」と言われた事と同じである。

天神とイエス様と選ばれた約束の牧者のまことの真理の御言葉を聞いて自分の家族に行って伝えるならば、その家族はその聞いた御言葉が自分の牧者の言葉や自分の考えと違うという理由で異端視する。この事によって家族の間に争いが起こるようになる。いのちと死の前で(申30:1920 参考)、家族に従うのか、神様のまことの御言葉に従うのか?誰でも約束の御言葉を守る者が救われ、永遠のいのちを得るようになる(マタ7:21、ヨハ1423、啓1:3)。

カインとアベルのうち、また、ヤコブとエサウのうち、誰がまことであり、救われただろうか?誰でも啓示を受けなければ、まことの神様も、成就された実像も、約束の牧者もわからず(マタ11:27 参考)、迫害する者になるだろう。新天地は、聖書に精通し、啓示された実像(新約の預言が成就された実像)を六何原則に基づいて証ししている。このような新天地を憎む者は、悪魔の神が彼らを支配しているからである(ヨハ15:1819 参考)。今まで迫害した者たちの行為を見ると、人の行動と言うより獣のような悪行であった。アンチ(anti) 新天地たちは、神様の啓示の働きを妨げようと数千数万に及ぶ迫害の偽りの文をインターネットカフェやブログなどに載せた。これはこのうそを見て、自分の教徒たちが真理の御言葉を伝える新天地に行けないようにするためであり、このうそを事実だと誤解して新天地を迫害する人は、自分の牧者に惑わされたのである。また、他の教会の教徒が、この惑わしのうそを信じるならば、これもまた惑わされた者となる。審判の時(啓20:1215)、この事実が光明天地に明らかにされるならば、その時、彼らが話す言葉があるだろうか?


この人もイエス様のように、聖徒たちがうそに惑わされないで(マタ24:4 参考)、御言葉(聖書)の中に入ってまことの信仰をする事を祈っている。

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