隠れたマナ、白い石、鉄の杖
イエス様が約束されたマナと白い石と鉄の杖(啓2章)は、何だろうか?モ~セの家族(肉的イスラエル)は、エジプトから出て来てカナンの地に入り(出12章、ヨシ1~8章)、カナンの地に入る(入城)前、シナイの荒野では農作をして産物を取り入れるまで天の神様が下さるマナを食べて生きて(出16章、ヨシ5:6~12)、住まいは幕屋を張って過ごした(出19:1~2)。
イエス様は、神様の聖霊の種で生まれた(マタ1:18~21、ルカ1:26~35)。モーセが民たちに与えたマナは、天の父なる神様が下さったものであり、先祖たちはそのマナ(パン)を食べても死んだが、イエス様は、ご自分が天から下ってきた生けるパン(マナ)であるので、ご自身を食べる者は死なないと言われ、このパンは、すなわち、イエス様の肉と血であると言われた(ヨハ6:48~57 参考)。イエス様は、過越しの祭の夜に弟子たちの前でご自分の血で新しい契約を結ばれた。その契約は、「わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物(ぶどう酒)を飲むことはありません。」と言った事であった(マタ26:26~29、ルカ22:14~20)。
この父の御国と新しい物(新しいぶどう酒)は、何だろうか?父の御国は、天で行われるように地でも行われると約束された霊的新しいイスラエル12支派である(マタ6:10、マタ25:31~34、啓7章、啓14:1~5、啓21:1~3)。ぶどうの木であるイエス様(ヨハ15:1、5)の血と肉、すなわち、御言葉がぶどう酒なので、新しいぶどう酒は、啓示の御言葉である新しい歌であり、これを父の御国で再び飲む日まで飲まないということは、再臨の時に飲むという意味である。その時まで地上の聖徒たちは、初臨のイエス様のあかしされた御言葉を福音として地の果てまで伝えなければならない(使1:8、マタ24:14)。再臨の時は、啓示録5章のように、神様の国と祭司長たちと共にその血の契約通りに食べるようになり、これが新しい契約である(啓5:9~10、啓14:1~5)。
イエス様の血と肉は、イエス様の御言葉、すなわち、イエス様であり、イエス様は、その日に私たちの内におられると言われたので(ヨハ14:20、啓3:20)、イエス様が私たちの内におられる事がイエス様の血と肉、すなわち、イエス様を食べることであり、このイエス様を食べることによって永遠に生きるようになる(ヨハ6:33~35、47~51)。イエス様の血と肉は、イエス様が再臨されてのみ、食べるようになり、この血と肉は、主の御名によって来られる方を通して与えられるようになる(ヨハ14:16~26、啓10章
参考)。これを悟る者は食べるだろう。
白い石と鉄の杖
白い石は、審判する権威を意味する。ダニエル2章では、「一つの石が悪霊の国バビロンを審判して永遠の国を建てる」と言われ、十字架を負われたイエス様は、ご自身を石であると言われた(マタ21:41~43、Ⅰペテ2:4 参考)。イエス様が石であるならば、その弟子たちも石であり、彼と一つとなった私たちも石である(エぺ2:20~22 参考)。
今日、啓示録11章で殺された(霊的)者(啓11:1~3)が一つの石となり、啓示録17章、18章のバビロンを審判して、新天地、新しい国を建てる(啓7章、14章、21章)。これは永遠なる新しい国である。イエス様が与えると約束された鉄の杖(啓2章)は、神様から与えられた物で、バビロンと戦って勝利を得た者(啓12章)に与える。この鉄の杖は、万国を治める事のできる知恵と権威であり、鉄の杖を下さったという事は、支配権を下さったという事なので、すなわち、王権を下さったのである。啓示録3章で見たように、勝利を得る者に天国と神様とイエス様が臨まれ(啓3:12)、勝利を得る者は、イエス様の御座に共に着いて(啓3:21)働くので、白い石も鉄の杖も必要であり、永遠の国を建てて、これで治めるようになる。
新約、すなわち、啓示録が成し遂げられる今日、誰でも初等の学問と軟弱な所に縛られていないで、新約が成し遂げられたことを信じて、天のまことの光を受けて、完全な所に出て行く事によって永遠のいのちのパンを受けるようになる。このような約束が新約(新しい約束)であり、この約束が成就された事を信じる信仰が実像の時代のまことの信仰である。信仰人は、他人の事を気にせず、聖書が自分に成し遂げられたのかを調べなければならない。そして、新約が成し遂げられた時、それを信じて守ることによって永遠のいのちに至るようにしよう。
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