迫害する理由
信仰人の中に自分たちと違う教団や教徒たちを聖書的な根拠もなく迫害する働きがある。迫害する理由は、妬みや嫉妬によって教権と奢った勢力を行使しようとするからである。彼らが迫害するのは、自分たちが知らないことを相手(迫害される側)が知って行なっているからであり、また自分たちの無識と無知と偽りと行いが現れてしまい、それを悔い改めるより憎んで嫉妬して、害を与えてなくそうとする心を持つようになったためである。このような心は悪魔の霊が与えたものであり、神様が与えられたものではない。
過ちを悔い改めて、神様に心から切に求めるならば、死者が生き返ったように、神様は喜んで赦して祝福して下さるだろう。しかし、わたしの民は知識がないので滅ぼされる(ホセ4:6)と言われたように、聖書的な知識がないので、悪魔の行いをしながらも自分の行為の過ちとその結果を考えないのである。
非真理を蒔くのは悪魔の種を蒔くことである(マタ13:25、29
参考)。迫害をするのも悪魔の行いをすることである。改宗牧師たちが他の教団の聖徒に改宗教育をさせようと、その家族をして強引に口に絆創膏を貼らせ、手首に手錠を掛けて引っ張り出して監禁させた。また彼らは、たくさんの金(教育費)をもらって偽りの教法を教え、聞き入れなければ精神病院にむりやり連れて行って監禁したり、むりやり離婚をさせたり、教育期間中には休学と休職を強要したり、それでも聞き入れなければ、家族に殴り殺させるまでしてでもその罪を他人に押し付ける行為をする。これがどうして神様の善なる行いと御言葉だと言えるだろうか?これは悪魔の強権の行いである。
これを見ても神様の所属と悪魔の所属が区分できない者は、その霊が死んでいる者である。神様の御言葉がその中になければ、このような悪行に対して勝つことはできない。聖書の御言葉で勝たなければならない。勝利を得る者は神様の子となり、天国の民となる(啓7章、啓15:2~5、啓21:7
参考)。
救いと永遠のいのちを願う聖徒は、真理の御言葉で神様のすべての武具を身につけ、サタンの惑わしを撃退し、勝利しなければならない(エペ6:10~17,ロマ12:21
参考)。
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