いのちの木と善悪の木の正体
(本文 : 創2:7-9)
いのちの木と善悪の木の正体は何だろうか。
この二つの木が聖書に現れてから6千年が経ったが、どの一人の牧者もこの木の正体を明らかにした者がいない。神様は、詩編78編で「初めから隠されていたものを比喩で現わして、後代に伝えなさい」と言われて、初臨の時、イエス様が来られて比喩で語られて現わされた。そして、時になると明らかに知らせて下さる事を約束された(ヨハ14:25)。そして、イエス様の名で来られる真理の聖霊保恵師が真理に導き入れると約束された(ヨハ14:26, 15:26, 16:13)。
再臨の時である今日、その約束通り我が新天地は、真理の聖霊がともにおられる約束の牧者がおられ、比喩ではなく「事実」を明らかに知らせている。その中の一例で、二種類の種でできた木について調べてみる事にする。
まず、二つの木を絵で描くが、一つは神様のいのちの種によってできた木、もう一つは悪魔の死の種によってできた木を描く。そして、枝と実と鳥も描く。
神様は、善悪の知識の木の実を取って食べると死ぬと言われ(創2:17)、いのちの木の実を食べると永遠に生きると言われた(創3:22)。 この木の正体は何だろうか?箴言3:18に見ると、いのちの木は植物ではなく、知恵を堅く握る者だと言われ、イザヤ5章にぶどうの木はイスラエルの人だと言った(イザ5:1-7)。アダムの幕屋、エデンの園に二種類の木があり、マタイの福音書13章に、イエスの一つの畑に二つの種が蒔かれたと言った(マタ13:24-30, 37)。 この小さな種が成長して大きな木になり、枝に鳥が巣を造ると言った(マタ13:31-32)。
この二種類の木は、種から始まる。種は神のことばである(ルカ8:11)。神様の種はいのちの御言葉であり、サタンの種は死の言葉である。いのちの種を畑、すなわち、心の畑に蒔くといのちの木が生まれ、死の種を畑に蒔くと死の木が生まれる。いのちの木はいのちの実を結び、死の木は死の実を結ぶ。これは種と木の道理である。
天国であるイエス様は(マタ13:24, 37)、ヨハ15章にご自身をまことのぶどうの木、弟子たちを実を結ぶ枝と言われ(ヨハ15:1-5)、イエス様には鳩のような聖霊の鳥が臨んだ(マタ3:16, 13:32)。地獄の悪魔であるバビロンの王ネブカデネザルは大きな木で、そこには実を結ぶ枝があり、その枝に鳥が巣を作り、その下に獣が住んでいる(ダニ4:20-22)。ご自分の畑、すなわち、イエス教会に二つの種が蒔かれたので、当然、二つの木が生まれる。神様の種はイエス様を通して蒔かれ、悪魔の種は当時の律法学者とパリサイ人の牧者たちを通して蒔かれた。各々、蒔かれた種によって、良い種は神様の御国の子どもたちになり、毒麦は悪魔の地獄の子どもたちになる(マタ13:38)。
前で調べてみた二種類の木のうち、一つは天国であるイエス様であって、もう一つはバビロンの王ネブカデネザルであった。この二人のうち、誰がいのちの木であり、だれが善悪の木であろうか?当時、イエス様はまことのぶどうの木であり(ヨハ15:1)、律法学者とパリサイ人の牧者たちは蛇だと言った(マタ23:29, 33)。申命記32章に見ると、ぶどうの木は蛇の毒であり、コブラの恐ろしじであると言ったので、律法学者とパリサイ人の牧者たちは蛇のぶどうの木である。イエス様は自分の事を道であり、真理であり、いのちであると言われたので (ヨハ14:6)、 まことのぶどうの木、すなわち、いのちの木であり、今日、啓示録 17、18章のバビロンの牧者は不品行のぶどう酒ですべての国々を倒したので、悪霊、すなわち、悪魔の善悪の木である。善悪の木の実と、及び、ぶどう酒を飲めば、自分の霊が死ぬ。そして、悪魔の子どもになり、地獄に行く。
エデンの園のいのちの木と善悪の木の正体について結論を言えば、次のようである。
初臨の時のいのちの木の実体はイエス様であって、善悪の木の実体は蛇であるパリサイ人の牧者たちであった。再臨の時のいのちの木の実体は新天地12支派であり(啓22:1ー2)、善悪の木の実体は啓示録13章の選民の天の幕屋に入って来て幕屋を滅ぼし、啓示録17-18章の不品行のぶどう酒(蛇の毒)を食べさせた、霊的なバビロンの七つの頭と十本の角を持った獣のような牧者たちである。これは、エデンの園一ヶ所に二種類の木があったように、今日、イエス教会の一つの畑に二つの種からできた木があるのである。一つは神様の種から生まれたいのちの木であり、一つは悪魔の種から生まれた善悪の木である。この二種類の木は、各々神様の牧者と悪魔の牧者である。
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