新約の戦争
新約で預言された戦争は、この世の国と国の間の肉的な戦争ではなく、同じ信仰人(キリスト教)同士で戦う霊的な戦争である。これは、神様に属する信仰人と悪魔に属する信仰人が互いに真理と非真理、正統と異端を主張しながら教権を占有するための、教理の戦争である。
イエス様の初臨のとき、同じイスラエル人、すなわち、ユダヤ人が教理で戦った。つまり、イエス様とパリサイ人たちが戦ったのであった(マタ15章、マタ23章 参照)。このように、主の再臨のときも啓示録の13章のように、12章のように、教権と教理、すなわち、証しする言葉で戦った。新約での戦争を、この世の国と国の間の戦争だと主張する者は、聖書も神様の御心も知らないので、霊的な戦争を、この世の肉的な戦争に大きく誤解したのである(マタ22:29
参考)。このように事実ではない嘘を食べさせたことは毒麦を蒔いたことになり、不品行のぶどう酒を飲ませたことになる。もし神様の御霊が共におられたなら、そのような嘘の種を蒔くことはなかったであろう。
マタイの福音書24章の戦争も聖殿で起きたことであった。啓示録16章の背教者と滅亡者たちにぶちまけられたのも神様の御怒りであり、世の爆弾ではなかった。また、啓示録9章のユーフラテス川のほとりにつながれている御使いたちと馬たちが、人間の3分の1を殺すことも世の武器ではなく、馬の口から出る火と煙と硫黃で殺すことであり、この馬は蛇のような尾に頭があって、これで人々を殺した(啓9:14~19)。頭は支配者で、尾はにせ預言者であり(イザ9:14~16)、その口から出る火と煙と硫黃は彼らの非真理の教理であり、これを受けた者は自分の霊が死ぬことになる。
世の終わりの聖徒は、神様の啓示を受けてこそ神様のまことの御心を知ることができる。
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